私たちは異次元にも住む?

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「身体の夢2」
余剰次元の探求者でいま人気の理論物理学者リサ・ランドールの『宇宙の扉をノックする』(NHK出版2013)の表紙の扉には、「科学するとはどういうことか? ヒッグス粒子は何か? 暗黒物質は? ブラックホールは作れるのか? そして私たちは異次元にも住むのか?」と書かれている。実に巧みな質問の組合せによるキャッチコピーで、これで読者の購買意欲を喚起し、誘っているのだ。というのも、よく読めば、最後の「そして私たちは異次元にも住むのか?」以外の問いは「科学的問い」であるが、この問いは違うからである。リサ・ランドールも、この本で人間が異次元に住むかどうかについては語っていない。しかし、この最後の非科学的問いが、ふつうの人びとの関心を誘い、購買意欲に火をつけるのである。

ある振付家の「あなたが研究する余剰次元は、人間の身体の動きにも影響を与えているのか?」という質問に対して、リサ・ランドールは「与えていないと思う。物理現象に対する余剰次元の影響は限りなく小さいから。与えているなら、私たちは既にその効果を観測しているはず」と答えている。僕には、このやり取りが面白い。それは、彼女の答え方が、近い将来観測精度が飛躍的にアップするなら「その効果が観測されるかも知れない」という可能性も残しているからだ。そして、もしその効果が実証される事態になる場合には、彼女なら素直に受け入れるのではないか? 彼女は前著『ワープする宇宙』(NHK出版2007)において、余剰次元の検証作業の中で、「実証」よりも先にその存在を「信じている」ことを告白した、僕にとっては次世代型の科学者であるからである。

僕は、余剰次元は存在すると想像している。そして、その余剰次元が物理的世界と重なり合うようにして存在しており、物理現象に対する余剰次元の影響は限りなく小さいとしても、その「効果」は精神的には大きく、その小ささの中にまだ発見されていない「新しい物質」も存在し、その「新しい物質」の中に「新しい神」も宿っていると考えている。それは、脳を離れた「心」は物理現象としては存在できなくても、余剰次元には続けて存在できると考えていくのと同様である。余剰次元を構成する物質はいま、リサ・ランドールたちによりヒッグス粒子ではないかという探求が続けられている。同様に、余剰次元よりもさらに微細レベルで、四次元の物理現象を構成する物質も、余剰次元を構成する物質も、共通のさらに小さな物質から構成されていることが実証されるかも知れない。僕はそのように考える。なぜか? それは、それが僕の「心」が僕に依頼した仕事であると感じるからだ。

もし、そのような小さな物質が発見されたりすると、それこそ大変なことになる。余剰次元に存在する「心」とは、余剰次元を構成する物質による「物理的世界と同様の物理現象」として生成している、と言えるかも知れないからだ。それは、脳科学者が人間の「心」は脳内の物理現象として生成していると主張するのと同様のレベルに高められる。そうすると、余剰次元で存続する「心」は現代科学からは認識できないのも当然である。つまり、現代科学にはそれを否定できる根拠も存在しない、ということになる。つまり、現代科学が次世代の科学に乗り越えられる可能性がここに浮上するのである。

© 2015 Tokyo Space Dance