カテゴリー別アーカイブ: Blog E-Way of Death Research/ブログE〜死に方の研究

分身創造と輪廻

「死に方の研究2」
私は、宇宙の終末まで生きて、終末の光景を見届けることができる自分の「分身創造」をライフワークの一つとして定めている。チベット仏教が「輪廻」を説き、それが余剰次元論を含む「新しい科学」の視点から見ても一定の説得力をもち今後も存続していくならば、当然無視できない。私の分身創造に必要な「未来身体のデザイン」も、この「輪廻」に沿った方向でなされていく必要がある。

それにしても、私はなぜ「宇宙の終末を見届けたい」などと願うのか? それは、もっとも単純に、この世の数ある仕事のうち、この仕事こそ「人生の最高の楽しみ」であると感じるからだ。すでに生まれてしまっている人間は自分の誕生をコントロールできない。しかし、自分がなぜ誕生したのかについては、自分の終末を宇宙の終末に重ねることができるなら、幾分かは理解できるかも知れない。そして、宇宙も誕生と死を繰り返す存在であるとすれば、「このような学習」も「宇宙の次の誕生」のために役立つかも知れない。

4次元世界を構成する物質から出来ている人間は、時間をさかのぼることができない。時間がその構成要素のひとつであるからだ。しかし、人間の構成要素に余剰次元を構成する物質も含まれるなら、人間の一部の要素は空間の次元を超えることはできる。「宇宙の終末」は「時間の涯」に存在するとはかぎらない。すぐそこにある可能性もある。たとえば、「死後の世界」が存在しそれは余剰次元に存在するとして、4次元世界に住む人間が時々「死後の世界」を感じるように。実際に、人間は居ながらにして「宇宙の終末」を目撃しながら生きているのかも知れない。

もし以上のようであるとすると、私の「死に方の研究」とは、「宇宙の終末」を目撃しつつ行う「新しい誕生の研究」ということにもなるのではないか?

チベット仏教

「死に方の研究1」
死に対して最も戦略的な方法を持ち込んでいるのは、チベット仏教だろう。ダライ・ラマ14世は、『チベットの生と死』(講談社/ソギャル・リンポチェ 1995)の序文の中で「死後どこに、いかにして生まれ変わってくるかはカルマの力によるが、死の瞬間の心の状態もまた再生の質に影響を与える」と言っている。私もこれに倣い、自分はどんな死に方をしたいのか、どんな死に方ができるのか、可能なテクノロジーを使用することも含めて研究をはじめた。

現代の情報社会では、身体に向き合う程度がどんどん浅くなっているため、健康づくりも皆同じメニューで没個性的になっている。このままでは、健康づくりだけではなく、生き方も、老い方も、死に方も、すべてが凡庸で退屈なものになり、ますますわからなくなっていくかも知れない。養老孟司が「個性は身体に宿る」と言ったように、個性的な生き方をつくって人生を楽しみたいなら、自分なりの健康づくりからはじめ直し、自分の身体を磨き、老い方を磨き、死に方を磨く必要がある

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