カテゴリー別アーカイブ: ブログF〜身体の夢

リサ・ランドールの言葉/Words from Lisa Randall

「身体の夢3」
理論物理学者リサ・ランドールの『ワープする宇宙』(NHK出版)からの引用。物理学者がこんなことを考える時代になった。何と喜ばしいことか。

「あるブレーンは私たちのブレーンと平行になっていて、パラレルワールド(並行世界)を内包しているかも知れない。ブレーンとブレーンが交差して、その交差点に粒子がとらわれていることも考えられる」。
もし別のブレーンに生命体がいたとしても、その生き物は全く別の環境に閉じ込められているわけだから、全く違った力を全く違った感覚で感知しているに違いない」。
私たちの感覚は、私たちを取り巻く科学反応と、光と、音を拾うように調整されている。別のブレーンでは基本的な力と粒子が違うはずだから、そこに生き物がいたとしても、私たちのブレーンの生き物とはほとんど共通点がないだろう。必然的に共有される唯一の力は重力だが、その重力でさえ、影響の及ぼし方が違うはずだ」。
いくつかのブレーンワールドについては、シグナルを発見できるかも知れない。発見可能なブレーンワールドとは、私たちの世界の物理的な特徴との関連性をもっているものだ」。
今のところ、多くの可能性のうちどれが本当に正しい宇宙の記述なのかは、あったとしても、わかっていない」。

私たちは異次元にも住む?

「身体の夢2」
余剰次元の探求者でいま人気の理論物理学者リサ・ランドールの『宇宙の扉をノックする』(NHK出版2013)の表紙の扉には、「科学するとはどういうことか? ヒッグス粒子は何か? 暗黒物質は? ブラックホールは作れるのか? そして私たちは異次元にも住むのか?」と書かれている。実に巧みな質問の組合せによるキャッチコピーで、これで読者の購買意欲を喚起し、誘っているのだ。というのも、よく読めば、最後の「そして私たちは異次元にも住むのか?」以外の問いは「科学的問い」であるが、この問いは違うからである。リサ・ランドールも、この本で人間が異次元に住むかどうかについては語っていない。しかし、この最後の非科学的問いが、ふつうの人びとの関心を誘い、購買意欲に火をつけるのである。

ある振付家の「あなたが研究する余剰次元は、人間の身体の動きにも影響を与えているのか?」という質問に対して、リサ・ランドールは「与えていないと思う。物理現象に対する余剰次元の影響は限りなく小さいから。与えているなら、私たちは既にその効果を観測しているはず」と答えている。僕には、このやり取りが面白い。それは、彼女の答え方が、近い将来観測精度が飛躍的にアップするなら「その効果が観測されるかも知れない」という可能性も残しているからだ。そして、もしその効果が実証される事態になる場合には、彼女なら素直に受け入れるのではないか? 彼女は前著『ワープする宇宙』(NHK出版2007)において、余剰次元の検証作業の中で、「実証」よりも先にその存在を「信じている」ことを告白した、僕にとっては次世代型の科学者であるからである。

僕は、余剰次元は存在すると想像している。そして、その余剰次元が物理的世界と重なり合うようにして存在しており、物理現象に対する余剰次元の影響は限りなく小さいとしても、その「効果」は精神的には大きく、その小ささの中にまだ発見されていない「新しい物質」も存在し、その「新しい物質」の中に「新しい神」も宿っていると考えている。それは、脳を離れた「心」は物理現象としては存在できなくても、余剰次元には続けて存在できると考えていくのと同様である。余剰次元を構成する物質はいま、リサ・ランドールたちによりヒッグス粒子ではないかという探求が続けられている。同様に、余剰次元よりもさらに微細レベルで、四次元の物理現象を構成する物質も、余剰次元を構成する物質も、共通のさらに小さな物質から構成されていることが実証されるかも知れない。僕はそのように考える。なぜか? それは、それが僕の「心」が僕に依頼した仕事であると感じるからだ。

もし、そのような小さな物質が発見されたりすると、それこそ大変なことになる。余剰次元に存在する「心」とは、余剰次元を構成する物質による「物理的世界と同様の物理現象」として生成している、と言えるかも知れないからだ。それは、脳科学者が人間の「心」は脳内の物理現象として生成していると主張するのと同様のレベルに高められる。そうすると、余剰次元で存続する「心」は現代科学からは認識できないのも当然である。つまり、現代科学にはそれを否定できる根拠も存在しない、ということになる。つまり、現代科学が次世代の科学に乗り越えられる可能性がここに浮上するのである。

白いオオカミ

「身体の夢1」
マサコ・グレイのダンスを最初にロンドンの路上で見た時、可愛い女の子なのに鋭い目つきをしていて、私は一瞬白いオオカミかと思い、釘付けになり、震えた。私たちの世界では、人種の混淆が進むだけではなく、ヒトか動物か見分けがつかないような野性の表情をもつ人間も増えて欲しいと、その時私は願った。

When i saw Masako Gray’s dance on the road in London first time, at the moment i thought she was a white wolf with an eagle eyes on the cute face, then i trembled for pleasure. In that time i hoped that not only the race mixture will make progress but also this kind of people who have a wild look that is not easy to tell the difference between human and animal will increase in our world.

© 2015 Tokyo Space Dance