カテゴリー別アーカイブ: Criticism-Art, Architecture, Design, Science, Philosophy, Novel, Movies, Comic/批評〜アート・建築・デザイン・科学・哲学・小説・映画・コミック

哲学者アーレント

「批評2」
映画『ハンナ・アーレント』。哲学者アーレントはハイデッガーの愛弟子だった。「いかに、自分で考えることが、重要か」について徹底的にハイデッガーに教えられ、その思想に深く共鳴した。このアーレントが、ナチスの戦犯アイヒマンの罪を問う公開裁判で、アイヒマンがいかに残虐な人間かではなく、権力に迎合することでいかに自分で考えなくなってしまっただけの凡庸な人間であるかについて証言し、アイヒマンの残虐性について徹底的に批判して欲しかったマスコミや世論から大バッシングを受けるというストーリー。しかし、アーレントはこのバッシングをはねのけていく。重要な問題について、自分で考えず、それを他にまかせてしまうことが、その後いかに大きな負の連鎖を引き起こす場合があるかについて示した見事な映画だ。自分がやったことは、自分で責任を取る必要がある。しかし、自分で考えることをやめてしまうと、その痕跡が心に残らず、その責任が取れない。アイヒマンはその好例だったとするアーレントによる指摘だ。

そして、この映画の底流になっているもう一つのテーマが、愛。ハイデッガーがナチス協力者だったという問題は別のテーマなのでさておき、アーレントはハイデッガーと出会った若き日に、彼を愛した。ハイデッガーを陶酔の表情で見つめていた若き日のアーレント。その表情は美しく、印象的だ。彼女を支え続けた夫も、いまでも彼女の心にその愛が生きていることを知り、それが悲しい。彼にはその愛をどうすることも出来ない。しかし、アーレントのハイデッガーに対する愛は、稲垣足穂的にいうならば「A感覚的な愛」で、純粋に精神的なもので、彼との関係を壊すものではない。アーレントは依然として夫を愛し、彼を必要としている。だから彼も彼女を受け入れていく。人生にはたびたびこのような難題が起きる。精神的な愛の対象をもつことは人生を豊かにする。しかし、それを自分のパートナーがもっていることは辛い。どうするか? 人は、このような局面で、自分の調整能力を最大限に試されることになる。

市川春子のコミック

「批評1」
市川春子。久しぶりに大型のコミック作家が誕生している!? 市川春子の『25時のバカンス』と『虫と歌』に収録された作品を読み、そんな感想をもった。『25時のバカンス』では、貝に内蔵も脳も骨も食べられて貝殻女になってしまった女主人公・乙女が「ないものを作ってみせる」と宣言し、貝と人間の共生による新しい進化の道を説いている。海辺で展開される乙女とその弟のラブストーリー。「孤独は生まれてから塵に帰るまでの苦い贅沢品です」などというしゃれたセリフもある。『星の恋人』は、身体の一部から再生された女の子・つつじと、その身体の持ち主である男の子・さつきと、その過程を導いた植物発生学の研究者による3人のお話し。話しの進行につれて、さつきも植物からつくられた人型であることがわかる。つつじとさつきが恋をして、つつじは研究者を愛しているために苦しみ、自分の片腕を切ってさつきに差し出す。その片腕からさつきの新しい恋人が生まれるようにと。

以上の二作品も、他の『パンドラにて』や『日下兄妹』も合わせ、市川春子が描く世界は素敵だ。繊細な線と詩的な言葉で造形される、人間の世界を超えていく愛と変容のすぐれた物語。どの作品もかなり複雑な構成だが、登場人物たちの間の感情の流れはなめらか。描かれる空間は深海から宇宙までとスケールが大きく、異界に対する違和感も感じさせない。ふと、市川春子が、乙面と凸面が交差するスペースチューブ内部のキレイな空閑を見たらどんな感想をもつだろうと空想してみた。面白いコラボが発生しないだろうか?

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