カテゴリー別アーカイブ: Blog A-Dance Research/ブログA〜ダンスの研究

国際舞踏とバンジェリン / International Butoh and Vangeline

「ダンスの研究4」
私はこの数年よく思う。早く「国際舞踏」が定着して欲しいと。外国人の舞踏家はものすごい勢いで増えているので、それも夢ではない。柔道でも、1964年東京オリンピックの無差別級でオランダのヘーシンクが金メダルを取ってから、柔道界は一変した。柔道における「日本神話」は崩壊し、海外の柔道家たちが柔道のメッカである日本の講道館に柔道を習いに来るのではなく、ヘーシンクのところに習いに行くようになったからだ。こうして、「国際柔道」が始まった。
私には、バンジェリンも同様に見える。彼女は、ニューヨーク在住のフランス人舞踏家。まさに彼女はフランス人で、特に美に対するセンスに優れ、日本の舞踏家が真似できないオリジナルな美の世界を描いている。同じ「愛」を描いても、日本映画とフランス映画ではまるで表現される「愛」の質が違うのと同様だ。そして、彼女の舞踏に対する熱の入れ方は日本的に言えば「求道的」で、その姿も人を惹きつけている。そして、このバンジェリンのところに日本人が何人も舞踏を習いに来ているのである。彼女は、私には「国際舞踏」を可能にする女ヘーシンクの一人のように見える。
In these years, several times i think one theme about “International Butoh”. I hope soon it will be established in the world. Now i know many Foreign Butoh Dancers there, so it will be not a pipe dream. In Judo World, after a time when Antonius Geesink, Hollander Judo Player, could get a gold medal at Tokyo Olympic Game on 1964 in Japan, Judo World underwent a complete change. Because “Japanese Mythology” in its world collapsed, and many Foreign Young Judo Players started to come to Geesink to study a Judo, not come to Kodokan, a Mecca of Judo, in Tokyo. Then, “International Judo” could happen.
Like that, for me, it seems Vangeline keeps same kind of possibility with Geesink. Vangeline is a French Butoh Choreographer, she lives in New York. I know her sense for the beauty is great, just as French artist she could continue to express very beautiful original worlds on the stage. Our japanese Butoh Choreographers can’t express that kind of beauty. We have same condition, for example when we see a film about “Love” we find very different 2 qualities about love between Japanese film and French film. Also, her attitude to master a Butoh is like a seeker after truth, so people love her daily way too. Now several japanese dancers come to her to study a Butoh. So, i believe, sure Vangeline will be one of woman-Geesink to establish “International Butoh”.

心と形 / Mind and Form

「ダンスの研究3」
東京の銀座線・浅草駅に近い駅のプラットフォームに、私には懐かしい弥勒菩薩のポスターが今でも貼ってあり、そこには「こころは形をもとめ、形はこころをすすめる」と書かれている。表現行為の本質を表現した見事な文章だと思う。若い頃、舞踏とは何かと思い悩んだ時、よくこのポスターの前に立ち考えていた。「心」が「形」を求めるのは理解しやすい。しかし、その後半は? 特に感動したのが「すすめる」という動詞。
私はある日、ダンスしている時、「形」に執着しない一瞬の動きが他の動きを呼び寄せることに気がついた。つまり、「すすめる」とは、「心」を「形」として展開するが、「形」には執着しないことで「形」を更新し、更新される「形」によって「心」を時間の岸辺に沿って運んで行くということか。「形」に執着しないことは難しい。「形」を愛する思いが強くなり、そこに立ち止まりたいからである。しかし、執着しないことでさらに思いがけない「形」が現れてくる。愛する相手も、ここにいるのは仮の姿で、多様な「形」の世界のその先で、思いがけない姿で待っているようだ。
On the platform at one station near Asakusa Station of Ginza-line in Tokyo, still now we can see one poster with a Buddhist saint with one simple writing “Mind seeks Form, Form forwards Mind“. I think this writing could explain the essence of human’s expression very well. This poster is very dear for me. In my young age, when i had several questions about Butoh always i come there and i thought long time in front of this poster. I could understand the first half of this writing “Mind seeks Form” very easy, but what kind of meaning of its second half “Form forwards Mind”? Particularly i was impressed with its verb “forward”.
One day when i was dancing i could notice that one movement call in other movement in the moment i don’t stick to one movement. In short, maybe “forward” will mean one condition like that i will open “Mind” as “Form”, but i don’t stick to “Form”, so i can renew “Form”, then i will go on “Mind” smoothly into the passage of time with several renewal “Forms”. Usually it is very difficult to stop to stick to “Form”. Because we would like to love it and we would like to get a happiness with a rest. But, i can meet with unforeseen “Form” more and more when i don’t stick to one “Form”. One “Form”, my dear lover will be transient. My true dear lover will wait for me with an unexpected figure in advance of worlds with various “Forms”.

年齢の壁を超える

「ダンスの研究2」
youtubeで有名になり、いま世界中のワークショップに呼ばれているという超人気ダンサーの菅原小春。私もテレビで観たが、「切れ」と「エモーション」のダンサーで、その動きは素晴らしかった。いま世界の若手ダンサーには強烈な個性の持ち主が少ないという事情も手伝い、たしかに個性がつよく主義主張も明確な彼女は若手ナンバーワンダンサーの一人なのだろう。ただ、アタマのいい彼女は、あと5年でやめる予定とも言っていた。つまり、彼女は自分のダンスが「年齢の壁」を超えられないことを自覚しているわけだ。

スペースダンスが実現したのは「年齢とともに成熟していけるダンス」。そのために身体に対する注目の仕方が重要だ。その点で「野口体操」の創始者・野口三千三も大変に面白い。彼は、第一に「脱力」を教え、体重自体にダンスさせる新しい動きの体系を開発した。彼の体操では、筋力維持や筋力増強が必要ないので、ここに「年齢の壁」を超えるための入り口が登場するわけだ。菅原小春が野口体操を学べばもっと楽になるだろう。私もスペースダンサーとして彼女に教えたいことがある。ヨボヨボのおじいさん・おばあさんになっても超一級のダンスはできる。そのために過剰な筋力はかえって邪魔になる。過剰な筋肉が超一級のダンスに必要な筋肉を隠してしまうからである。この地上には野口体操やスペースダンスのような道も用意されている。

満ちているから、動く

「ダンスの研究1」
「欠如」を感じるから動くのか? 或いは「満ちている」から動くのか? スペースダンスでは、「満ちている」から動く。「満ちている」からこそ、動きに対する新しい探求の旅に出ることができる。スペースダンスでは、動きを通して「満ちている状態」をつくる。そして、「満ちている状態」を、動きを通して、増幅させる。動きがうまく行かない時は、いつでも「満ちている状態」に戻ることができる。「満ちている」ので、焦ることはない。「満ちている状態」から、外に出て、また戻る。これを呼吸のように繰り返している内に、「満ちている状態」が雪ダルマのように膨張をはじめる。膨張をはじめた「満ちている状態」から繰り出される動きは、動く当人にも未知であり、新鮮であり、尽きることなく続く。

© 2015 Tokyo Space Dance