第六章

第六章 『アートの新しい役割』

〜アートに「新しい領域」が開かれ、「多層的な顔」と「多層的な職業」をもつ者たちが現れる〜

1 ダンスの新しい出発

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フランスのカミーユ・ポワテル(Camille Boitel)の「現代サーカス」のような、「新しい時代のオペラ」を思わせる、各分野の統合を目指す新世代サーカスが登場している。ネット上では日本の「初音ミク」のようなネット上で人びとに共有され進化するバーチャルアイドルが登場し、表現者の新しい意欲を開拓している。アイルランドの歌姫ビョークのように、本格的なアートの拡張の試みも始まっている。

  ダンスもまた、ダンスの機能を読み替えることで、新しい出発が可能になっている

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ダンスを「姿勢の創造」と読み解けば、ダンスは世界中のあらゆる人びとが毎日無意識にやっていること、「姿勢の創造と調整」に行き当たる。スペースチューブはまさに「姿勢の創造と調整」の為の空間装置であり、ふつうの人びとを即席のダンサーにする力をもつことから、世界の75億人にスペースチューブを届ける方法が考えられる。くつやくつ下は世界中の人びとの毎日の必需品である。誰もがお風呂にも、できれば毎日入りたい。スペースチューブも、くつやくつ下やお風呂のように毎日の必需品にできないか? そのための魔法を発明したい。

身体が世界中の人間の毎日の関心事」であることは、貧しい者にも豊かな者にも共通している。同じひとつの身体の苦痛が両者に共通の「ゆがみ」を与え、その回復が共通の「笑顔」をつくる。現代世界では、このような身体がテクノロジーの進展により本人が自覚できない範囲で「改造」され、「曖昧」になり、「感覚の混乱」が進行している。そうである以上、その回復を実現する新しい装置が登場し、身体ケアの新しい方法が確立される必要がある。身体がゆらげば、生活のすべてがゆらぐからである。

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私は、このような要請に応える場所として『スペースミュージアム』について構想し、次のように考えている。

  『スペースミュージアム』は、「身体の力」をふたたび獲得するための体験の場であり、その体験を基礎におくデザインの場であり、それらの成果を世界に提示する発信の場である。そして、その担い手を育てる教育の場である

以上の目的の為に、「ダンス・建築・デザイン・情報」によるコラボレーションを採用する。現代という時代は、他分野によるコラボレーションを必要とする時代になっている。それは、これまでの方法では解決できない「新しい問題群」を扱うからである。そのために、それを扱う専門家たちの専門性も更新される必要が出てくる。

やっと私たちの世界も、感覚の協同による自由なコラボレーションが可能な時代に入ってきたのである。概念上はアーティストとサイエンティストは別世界に住む異邦人たちだが、感覚の世界では両者は驚くほど近づき、一人の人間が両者を兼ねることも矛盾ではなくなっていく。

  これまで一緒に歩くことが必要だったのにいろんな事情で別々に歩くことを強いられてきた者たちが、いま一緒に歩くことを求められ、驚いている。そんな新しい時代がやってきたのだ

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そして、『スペースミュージアム』で重要な役割を果たすのは、ダンサーである。それは、ダンサーが「身体の専門家」の一人として社会的に評価され、身体知を先行して担う者であり、身体知の情報化のためにもっとも近い位置に立っているからである。

ダンサーとは、日々身体技術を鍛え、少し身体を浮かすことを覚え、日常ではできない「姿勢の創造~フォルムの形成」を行っている。この、少し身体を浮かすことの中で培われる身体知に、情報社会・高齢社会・宇宙時代を迎えた今日においては特別の価値がある。しかし、この価値は、これまで社会化されたことはなく、ダンスという狭い舞台芸術の中で秘密のまま放置されてきた。

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ダンサーは、自分が培ってきた身体知を情報化する意志をもつかぎり、20世紀前半のバウハウス時代の建築家などと同様に、二一世紀にふさわしい「新しい職能」をひらき、社会的存在として活躍できる可能性が出てきた。身体知を担う者たちの重要性は、情報化社会では格段に増加するからである。「姿勢」の創造や調整が世界中の人びとの毎日の無意識のテーマある以上、それを日々意識的にやっているダンサーは人びとに新しい形で結びつき、ダンスの効用が生活の中で注目されることになる。

したがって、このような時にも、20世紀アートシステムに対する反省もなく、「ダンサーとは舞台上でふつうの人びとにはできない美しい動きをつくり出す人」とだけ解釈し、これまでと同様にダンサーとふつうの人びとを差別化していれば、人間同士の優劣を比較しているだけでつまらない。それよりも、「ダンサーとは、生物の進化史を身体の動きを通して追想し、それを根拠に新しい姿勢の創造に挑戦する人。未来の身体への予感を率先して開拓する人」と解釈していけば、それはふつうの人びとにも役立つことで、新しい広がりを見せる。これからは、ダンスの用途を限定することは、ダンスをつまらないものにすることである。

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宇宙開発も、生体改造も、ロボット開発も、仮想空間開発も、高齢者文化開発も、誰もが身体がわからなくなり困っていくのが事実だとすれば、ダンサーには大きなチャンスがある。そこでコラボレーションを成立させれば、「新しいダンス」の創造へのきっかけをつかめる。

高レベルのダンス教育がされていることで有名なロンドンのラバン学校でも、ごく一部の卒業生が世界的舞踊団に入れるだけで、他の卒業生には就職口がない。仮に世界的舞踊団に入れた場合でも、その賞味期限は限られている。世界中の大学のダンス学部でも事情は同じであり、これほど現代ダンス教育の矛盾を端的に示す証しもない。教育機関である以上、就職を保証できない教育とは矛盾である。ダンスはアートであるからそのような制限は受けないという言い訳は、通用しなくなっていく。新しい要請に向けて柁を切るべき時が来ているのである。

2 経済を生み出す新しい文化

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これまで、人間の歴史では、経済と文化は別メニューであり、しかも「お金」が主導権を握るため、文化は経済の下に隷属させられ、不景気のときにはつねに文化は冷遇されてきた。そして、経済に科学技術が、文化にアートが、と住み分けてしまうために、社会をリードするものは科学技術であり、文化がその後を追う、という間違った構造を壊すことができない。しかし、経済を生み出す新しい文化が誕生すれば、この関係を修復でき、歴史の歯車をもう一度正しい方向に向って回転できる。

『スペースミュージアム』では、アーティストも、それまではサイエンティストやデザイナーの仕事だった領分にも進出する。科学者やデザイナーだけが科学しデザインする時代は終わり、ダンサーだけがダンスする時代も終わる。それほど、既成分野は解体し、混合し、それをもって私たちは新しい時代を迎えていくことになる。その結果として、サイエンティストでもありデザイナーでもありダンサーでもある等の、「多層的な顔」と「新しい職業」をもつ人間たちが沢山登場することになる。何と面白い時代か。

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『スペースミュージアム』は、この意味で、文化と経済を共存させる試みであり、ここではアートとサイエンスは共にあり、ダンスとデザインは共にある。私たちには、これまでのアートの延命が課題なのではなく、新しい経済を生み出す新しいアートの創造と、経済の文化化が課題なのだ。

  これからの時代の「新しい人」とは、歴史がこれまで分断してきたものをもう一度集め、それらを一身に抱えていく人間たちのことにちがいない

3 「新しい個人」の創造

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私たちの時代は、「集団」に代わり「個人」が注目される時代になっていく。大組織に滅私奉公的に所属していれば一生が安泰という企業神話は、すでに大きく崩壊した。「個人」が新しい力をつける必要に迫られるようになった。ネット上のコミュニティも爆発的に賑わっている。誰もがブログを書き、発信している。全体の表現者数は大きく底上げされ、ブランド化された新しいスターたちも登場をはじめている。

これからは、個人としての生き方が重要になり、結婚しているか独身かの差にかかわらず、トレンドは「一人の生活」になるだろう。男も、女も、これまでと同じように相手に頼っていると面白いことが始まらない。一度手に入れた面白い仕事も、一人で自由に振る舞える生活を確保していない限り、常識に縛られ、他人の目を気にし、年齢と共に成熟させることは難しい。女が率先して自立を始めたので、男も自立しないと大変なことになる。

  定年や第二の人生という概念も怪しくなりはじめた。年齢に対する感覚も、信じられないほど変わりはじめている

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住むべき場所も、情報技術が「新しいリアル」を提供するレベルが高くなったため、「一所定住」と「世界周遊」を同時にむりなくこなせるようになる。人びとは、リアルな移動とネット利用を組み合わせ、これまでとはまったく違う形式の生活をはじめている。生活スタイルの変更自体が「個人の時代」のシンボルになってきた。

高度な医療が発展し、これからは死にたくても簡単には「死ねない社会」である。本来、生殖期間を過ぎても死ねない人間が「文化」を生み出した。今後、120歳までは医療の力で平均寿命がのびるといわれている超高齢社会では、予定された「死期」を過ぎても死ねない人間たちがあふれ出す。彼らは一体何をはじめるのか。このように生活環境が激変する中で、文化のあり方が現在の延長のままで続くはずがない。

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一人の異性と出会った時に、関心が「恋愛」ではなく「文化」に移っている場合には、相手の年齢は関係なくなる。9才の子どもでも、90才の老人でも、相手が自分が知りたかった知識や技術の持ち主であることがわかれば、「恋愛」とは違った形でつよい関心を示し、夢中になる。一緒にいても、「恋愛」が目的だった時のような違和感を感じない。このような「文化」に関係する感覚の大きな変容を体験することは、男や女という性別に特化した思考から自由になれるため、「一人の生活」を築くための大切な条件になる。

今年5月にフランス大統領に就任したマクロン(Macron)とその妻ブリジッド(Brigitte)。二人は、演劇の生徒とその先生との関係だった。マクロンはいま39才で、ブリジッドは63才。年齢差は24才。最初に出会った時マクロンは15才で、ブリジッドは39才。ブリジッドは3人の子供をもつ既婚の母だった。しかし、マクロンは知的に早熟な少年で、15才にしてブリジッドに結婚を迫った。ブリジッドは彼について「この少年の知性に完全にまいってしまった」と言っている。「文化」でも繋がり、「愛」でも繋がった、飛び切り素晴らしいカップルである。今後、このような年齢に縛られない人間関係が増えていくことは間違いない。

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大人たちの世界の大きな変動に影響され、子供たちの世界にも大きな変化が起きていく。現在の子供たちが社会に出る時には、その6割以上がまだ存在していない職業につくと予想されている。20年後には、多くの大企業も消え去り、特定の成功モデルが存在しない社会になると指摘されている。死と死者に対する感覚も大きく変化し、50年後には世界中の「墓」が消滅していることも予想されている。

したがって、子供たちは、新しい想像力を開発し、新しい生き方を身につける必要にいやでも迫られる。子供たちは何を学び、どんな得意な技術を身につければいいのか。平均年齢120才が当たり前になる社会では、どのように人生設計をすべきか。子供たちに対する教育がますます重要になる。そして、そのような新しい教育については、現在の大人たちにも未経験の対象なのである。

4 現代科学と「死」の対話

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リサ・ランドールは余剰次元を構成するブレーンについて、次のように述べている。

  「あるブレーンは私たちのブレーンと平行になっていて、パラレルワールド(並行世界)を内包しているかも知れない。別のブレーンに生命体がいたとしても、その生き物は全く別の環境に閉じ込められているわけだから、全く違った力を全く違った感覚で感知しているに違いない。私たちの感覚は、私たちを取り巻く化学反応と、光と、音を拾うように調整されている。別のブレーンでは基本的な力と粒子が違うはずだから、そこに生き物がいたとしても、私たちのブレーンの生き物とは共通点がないだろう。いくつかのブレーンワールドについては、シグナルを発見できるかも知れない」(リサ・ランドール『ワープする宇宙』NHK出版 2005)

現代医学は、「脳死」と「心臓停止」により死を判断する。「脳死」により、意識を生成させているのは脳であるという理由から、意識も消滅すると考えている。「心臓停止」により、死は完成され、身体の腐敗も始まると考えている。実際、いかなる人たちも死ねば私たちの目の前からアッと言う間に消え去ってしまい、その痕跡はまったく残さない。しかし、これらは私たちが生きる四次元世界を構成する物理現象の内部での理解である。余剰次元がブレーンとして現実世界に何層にも重なって存在しており、いくつかのブレーンが現実世界にも侵入しているとすれば、事態はまったく複雑なものに変化する。

たしかに、意識は脳の死と共に消滅するだろう。しかし、その消滅は私たちの世界の中での消滅であり、もし他の物理現象も私たちの世界の背後に存在するとすれば、リサ・ランドールが言う別のブレーンの中で、違った形式で存続を続けているかも知れない。

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なぜ、物質が誕生し、宇宙が誕生したのか? それはいまだ誰にもわかっていない。『物質を生む主体』は謎のままである。しかし人間はそれを知りたいのである。キリスト教の信者であれば『物質を生む主体』は「神」であると容易に思えるだろうが、そのような「神」は現在の人間が知りたい内容を満たせない。

『物質を生む主体』が存在するとすれば、この主体が余剰次元としての多層な物理世界を誕生させているのだろう。私たちが生きる四次元世界は、その多層な物理世界のうちのひとつである。だから私は、人間の脳は四次元世界に属する物理現象として意識を生成しているが、この脳の死後、意識は別の世界の別の脳の内部に存続できる、と考えてみる。

スイスの山中にある最先端のLHCは、ヒッグス粒子の検出に成功した。今後、LHCでは、ダークマターの解明も含めて、どんな新しい粒子が検出されることになるのか。そして、新粒子が検出される度に、サイエンティストたちはそれまでこれこそ宇宙の真の姿と提案していた宇宙モデルを捨て、新しいモデルに乗り換えていく。一般の人びとはその度に置き去りにされ、振り回されることになる。

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いかに生きるかというテーマと共に、いかに死ぬかも特別に重要なテーマになっていく。死に対して最も戦略的な方法を持ち込んでいるのは、チベット仏教だ。ダライ・ラマ14世は、「死後どこに、いかにして生まれ変わってくるかはカルマの力によるが、死の瞬間の心の状態もまた再生の質に影響を与える。死の瞬間はもっとも深遠で有益な内的体験が生じる時でもある。死と死のプロセスは、チベット仏教と現代科学の間に出会いをもたらす」と述べていた。

死について、転生のための明確な実践的プログラムを用意し、現代科学とも対話可能であることを宣言できていること。死に方がわからなくなった時代と言われ、死に対する恐怖を増大させている現代人にとって、再生や輪廻が存在するかどうかは別にして、このようなプログラムを用意できていること自体が素晴らしい。自分なりの能動的な死に方を実践したいと考えている者たちには、貴重な先行事例である。死は、生きる者に残された「最後の創造的なデザイン」の対象になるからだ。

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