第四章

第四章 『新しい知』

〜「身体と環境は一体」という思想から、新しいの構築がはじまる〜

1 「新しい知」が求められている

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高校生の時に「締めつけマシン」というものを自力で制作し、身体の震えの苦しみから解放されるようになったという、自閉症の大学教授テンプル・グランディン。彼女は自分が得意とする「視覚的思考」の「言語ベースの思考」に対する優位性を訴え、「視覚的思考」から新しいデザインを創造できると提案している。彼女は、人が喋っている時にその話しを「映像」として聞くことができる。一つの対象を、正面からだけでなく、横からも上からも、同時に見ることができる。牛や犬などの動物の気持ちもよくわかる。テンプルは、脳機能を健常者とは違う方向に発達させ、その内容を私たちにも理解できるように表現できている点において、現代世界が必要とする「新しい知」を担う先行者の一人である。

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私たちの現代世界が情報・ゲノム編集・人工知能・ロボットの社会として加速度的に進展し、また宇宙時代が近づくにつれて、私たちの目の前にはいままで経験したことがない新しい問題が現れてくる。

情報社会で生じる現実の仮想化問題も、医療の世界で生じる生体改造問題も、宇宙環境で生じる身体・脳問題も、いよいよ避けることができない大問題として登場をはじめている。このような問題を扱うためには、既存の方法は役に立たないか、役に立つとしても大幅な改訂が必要になる。私は、これらの問題に対処するためには、新しい身体論・テクノロジー論・人間論・宇宙論の総合による「新しい知」が必要になると考えている。

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これまでの知~社会技術をリードしてきた科学技術とデザイン~においては、身体は環境から切断されても身体として扱えるとして考えられてきた側面がつよかった。しかし、身体はつねに環境とともに存在し、環境から切断された身体は身体とはいえない。その矛盾が、宇宙環境では、宇宙飛行士たちが経験する身体劣化という問題として明らかになりつつある。情報社会と高齢社会の問題を検証する過程でも、仮想世界や人工身体に対する無理解と過度の警戒から同様の矛盾が存在することが明らかになってきた。

私たちに必要な「新しい知」とは、身体を単独で扱う知ではなく、身体を環境とともに一体として考える知である。身体と環境の関係は、これまで考えられてきたよりも動的で、親密である

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私は、この「新しい知」について、2004年~2006年の宇宙航空研究開発機構(JAXA)との東京での共同研究において、次の四つの特徴をもつ知として提案した。

① 環境

その知は、身体がつねに空間とモノからのサポートのもとに存在していることを教え、身体は環境との関係ぬきに単独には存在しないことを教える。

② 記憶

その知は、身体の個性的な動かし方によって得られるもので、個人に蓄積された身体知を目覚めさせ、人間の動きにはかつて動物だった頃の遠い昔の記憶も含まれていることを教える。

③ デザイン

その知は、人間がモノと同化した分だけ「身体の拡張」を実現できることを教え、同化の仕方を決定するものがデザインという行為であり、人間の気づきの数に応じたデザインが可能になることを教える。

④ テクノロジー

その知は、現在の人間がもつ夢と欲望が人間の未来を決定すること、テクノロジーの使用の仕方が人間進化の方向を決定づけることを教える。

2 宇宙環境に対して

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2015年12月、宇宙開発ベンチャー・スペースXの代表イーロン・マスクは「私は、火星に行きたい。火星で死ぬのが夢だ」と語っている。イーロンの宇宙への情熱は強烈で、どんな障害ものり越えていくつよい意志に支えられている。しかし、宇宙環境では身体と脳に重大なダメージが生じるため、現在の宇宙開発技術のレベルでは火星に到着できてもそこで人間としての活動ができるかどうかは不明のままである。

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私の舞踏家としての観点からは、現在までの宇宙開発の最大の成果は、宇宙飛行士たちが宇宙遊泳やスペースシャトルで無重力環境を体験し、また月において六分の一の重力環境を体験したことによる、「人工重力の創出による重力調整のチャンスを手に入れたこと」である。1969年に最初の月着陸を果たしたNASAの宇宙飛行士エドウィン・オルドリンは「身体が軽くなり、走り出したら止まらない。斜めになったまま静止することもできる」と語っており、彼のムーンウォーキングの感想は「姿勢の創造」という観点からも大変に面白い。

人間が宇宙でゼロ重力と一重力の間を自由に往来し、その間で地上では成立しなかった多様な姿勢形成を実現することになれば、それは人間の歴史には存在しなかったまったく新しい出来事である。魚が陸に進出して両生類に進化した場合に似て、「人間の次のステップへのチャレンジ」という、進化の舞台上の特別のドラマに結びつく可能性がある。人間に「」が存在するなら、それはこのような新しい姿勢形成の冒険によってはじまるだろう。

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「新しい知」により、宇宙環境において宇宙飛行士たちが体験する「身体の劣化」というやっかいな問題もとても理解しやすくなる。それは、人間の身体は地球の一重力環境で育ってきたからで、いまも地球環境と不分離だからである。

  この関係を無視して無防備に宇宙環境に投げ出された身体とは、「木の根」と「土」の関係に喩えるなら、「土」のない中空に放り出された「木の根」と同じで、すぐに枯れてしまう。どうしてもそうしたいなら、「土」とともに持ち出す必要がある

さらに、人間が「地球文化の矛盾を克服した宇宙文化の創造」をめざすと宣言するかぎり、地球の「土」以上の優れた「土」を用意する必要がある。「土」が同じであれば、また同じ矛盾をもつ地球文化が宇宙で再生産されるだけだからである。

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2013年のアメリカ映画『グラビティ』。宇宙船の事故で宇宙空間に放り出され、奇跡的に地球に帰還できた宇宙飛行士の物語である。映画の最後の、彼女が、漂着した海辺で自分の手で砂に手型をつけ、喜びにあふれ、大昔に最初に陸に上がった両生類のような頼りない感じでヨロヨロと立ち上がり、大地に感謝し、大地を踏みしめてゆっくりと歩く。このシーンが特別に印象的で、感動的な地球への「帰還の物語」になっている。

彼女は懐かしい人間の場所に帰ってきた。もう「同じ過ち」は繰り返さない。人間には「大地」が不可欠だ。「大地」との親密な関係を発展させる「開発」でない限り、どんな「開発」も無効であり、人間に容赦なく「死」をもたらす。その事実をこの映画は見事に暗示している。

3 高齢社会と生体改造に対して

  iPS細胞やゲノム編集により、医療が新しい歴史の扉を開けようとしている。身体は「再生」と「産業化」の対象として、これまでとはまったく違う注目を浴びはじめている。

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2012年のロンドンオリンピックに出場した義足ランナーのオスカー・ピストリウスは、健常の選手に迫る記録を出し、世界中を驚かせた。2020年の東京オリンピックでは、義足ランナーがウサイン・ボルトの記録を抜くのではないかという予想も現れている。それを心配し、パラリンピック以外には「義足」の使用は禁止すべきだという意見も一部に出はじめた。これは自然な対応のように見えても、そこには健常者からの障害者の世界に対する根深い差別も残されている。

私はそのような差別に対しては、それなら健常者も義足を使用すればいいのではないかと勧めたい。健常者は義足を使用してはならないという理由はどこにも存在しない。さらに、テクノロジーの進歩には驚くべきものがあるので、義足よりさらに効果のある人工の足を開発してもいいのではないか? いずれにしても、「健常と障害の区別」や「人工と自然の差」についての新しい議論がはじまるのは必然の流れである。

高齢者に対する配慮においても、現代デザインは、バリアフリーやユニバーサルデザインの概念に辿り着いたが、それも個別性や当事者性の発想を取り入れなければうまく機能しなくなる。高齢者に対する身体ケアでも、今後の高齢者は「弱者」だけであるとは限らず、新しいタイプの「強者」も増えるからである。

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さらに、2015年には、分子遺伝学者アンソニー・ジェームズによる、ゲノム編集によりマラリア原虫を媒介しない新しい蚊をつくることに成功したという衝撃的な発表が行われた。その為、その年の12月には世界中の科学者がアメリカの首都ワシントンに集り、ゲノム編集についての倫理的問題が議論された。

  いよいよ人間が、「あらゆる生物種を操作できる技術」を手に入れてしまった

ゲノム編集は100年に一度の大技術といわれ、「生物のゲノムは長い進化の歴史を経て形成された貴重な遺産であり、それを操作すれば元に戻すことは困難であり、取り返しがつかないことが起きる」と心配されているのだ。

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しかし、このようなゲノム編集によるエンハンスメント(生体改造)という大テーマでも、今後は倫理的に問題がある場合にも、それが当事者にとって受容できるかぎり、次第に「外部」から「待て」をかけることが困難になっていく。化粧や整形美容やクスリの使用をはじめ、刺青やピアスや身体損傷や自殺を含め、個人の身体をどう扱うかは「個人の自由」であるため、基本的には誰も反対できない。

生体改造を実施して少しでも身体を回復でき、あるいは生得以上の身体能力を獲得し、術後に副作用もなく、しかも長生きについて自由に調整できるというような事態になれば、それは人間の長年の夢の実現であり、反対すべき理由は何もない。間違いなく、多くの人びとが躊躇なく飛びつくことになる。

4 情報社会に対して

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現在、FacebookやGoogleなどのIT企業は、スマートフォン利用によるネット接続を通したプラットフォームの覇権獲得にしのぎを削っている。世界中の利用者たちを「仮想国民」と見立て、彼らがもつビッグデータを手に入れ商用利用に役立てるためである。一方で、このようなビッグデータが権力に利用されることで、近い将来に完全な「監視社会」が訪れる恐怖についても指摘されている。

このようなビッグデータ利用の問題も含め、情報社会における「仮想化の進展」が懸案の課題になっているのである。人間は現在ほど情報を仮想として日常の世界に浸透させたことはなかった。PC利用かスマートフォン利用かに拘らず、ネット上でメールやブログにより一日の大半の時間を過ごす者たちは、ネット世界を「もう一つリアル」として日々成長させている。かつてのウォークマンにはじまり、ipodなどの愛用者たちは、人工的な音で現実の音を遮断し、現実体験を変容させている。今後はそこに映像も加わり、網膜ディスプレイやメガネスクリーンやヘッドセットなどの普及により、VRやARが現実世界に浸透し、私たちの日常生活は聴覚環境と視覚環境を中心にもっと大きく変化する。

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しかし、仮想化の衝動もまた、夢の実現を願う人間心理の表現であり、誰も止めることはできない。一般的には、仮想化は、医療現場での有効活用などの他は、子供たちや大人たちの生存に必要な身体のリアリティ感覚をおびやかす原因として否定的に考えられている。たしかに、人びとは仮想に頼り過ぎて主体性を失い、情報技術がつくり出す一方的な情報洪水に押し流されるだけで、あるいは仮想世界が現実からの逃避の場所として利用され、その弊害には無視できないものがある。しかし、そのような理由から仮想化の流れを止めることはできない。

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つい最近では、プロの囲碁士や将棋士が人工知能囲碁士や人工知能将棋士に負けるという出来事が続いている。その結果、人工知能に対する警戒は一挙に高まり、AIが人間の知性を凌駕し、人間の仕事が完全に奪われてしまう日が来ることが恐れられている。実際に、「人間より優れた直感をもつタクシードライバー」や、「人間より優れたアイデアを生む金融市場トレーダー」や、「人間より優れた政策をつくる政治家」などの多様な「AIモデル」のプログラミングが始まっている。

一方で、人工知能に期待する側として、例えばソフトバンクの孫社長は「ありとあらゆる分野で、AIによる超知性が人間の知的活動を上回るようになる。あらゆる産業が再定義され、交通事故も起きない世界が実現する」と言い、人工知能が人類の知性を超える転換点としての「シンギュラリティ」の到来を期待している。

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しかし、日本では将棋士・羽生義治が「どれほどAIが進化しても、価値判断や問いを立てることは、人間にしか出来ない。人間がAIに追い抜かれることはない」と指摘しているように、「シンギュラリティ」がやってくることはないだろう。データの無限の蓄積と組合せだけでは、AIが超知性や心を持つことはありえないからである。

したがって、過剰にAIを警戒するのではなく、過剰に期待するのでもなく、AIの進展は脳の仕組みの解明にも役立つという観点から、必要なだけ利用すればいいのではないか。一番興味深い点は、AIが人間の知性を超えたと思わせる結果を出した場合にも、それはブラックボックス化されており、人間にも分からず、AIにも分からないという点である。このブラックボックスの解明から、人間がAIから学び、人間には不足している要素を人間の新しい能力として追加できる可能性が開かれる。何よりも、人間がもつ自らの「ブラックボックス=意識」という謎の解明にも役立つだろう。

5 宇宙視点から地球を見ると

  想像力の開発が決定的に重要である。人間の今後の夢と欲望のあり方が「人間の次の進化」を決定するからだ。

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地上の問題は、どれを取っても複雑で、わかりにくくなっている。誰もが知るように、人類の未来はバラ色ではない。現在も絶えることがない国家間の紛争、宗教的対立、民族紛争、テロ、病気、貧困、勝者の奢り、環境破壊などの地球問題は、原因が複雑に絡み合い、解決できる見通しはまったく立っていない。

私たちは、依然として核のボタンひとつで地球が死の灰に覆われる危険のある世界を生きている。リアルな世界を離れネット上に「もう一つの地球」を見出し、ネット人間として「新しい自由」を手に入れても、現実の国家の一員として縛られていることに変化はない。現実の自由な往来は許されず、誰もが「国家という権力=パスポート」で厳重に管理されている。ネットの中で得る自由と国家における自由はまったくの別物である。

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地球がダメになる場合も想定した宇宙開発も、このままでは地球での過ちを宇宙にもちこむだけだろう。近未来映画の多くは、人類が滅亡した荒廃した地球の風景を描き続けている。2007年に出版されベストセラーになったアラン・ワイズマンの『人類が消えた日』は、人類が消えた後の地球の姿を克明に描いて説得力がある。人間の多くの努力が無駄になり、そのまま宇宙の闇に消えていく運命なのかもしれない。

しかし、このような地球問題も、宇宙に浮かぶ青い地球を月から見るようして宇宙視点から見ると、理解しやすい。複雑骨折した問題も、いくつかの単純骨折の複合によっていることがわかってくる。宇宙開発も地上の知の反映であるため、宇宙開発に人間が持ち出している内容を検討することで、地上の人間の知の現状がわかる。これが、「宇宙から見れば地球の病いがよく見える」という、私たちの新しい時代の特徴である。

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 世界の進行は早く、昨日までは明確だった道徳や倫理が今日は曖昧になり、世界の知性を担っていた者たちも容易に相対化され、効力を失って消え去り、次々に人間は新しい世界の難題の前に立たされていく

  どこかに人間中心のエゴを隠しもっているのでもなく、地球の一部地域の価値観を世界に押しつけるのでもなく、新しい技術が登場するたびに驚いて自己の体系を修正するのでもなく、必要なテクノロジーは自分たちで選択し、あるいは開発し、自分たちの身体と環境を必要なだけ自分たちで進化させ、それで必要な責任はすべて自分たちで背負い、もっと自信をもって世界の新しいあり方にシフトしていける方法はないのか。

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20世紀には、アインシュタインやハイゼンベルクらの多くの物理学者たちが原爆開発に関係し、その成果が政治に悪利用されるという悲劇があった。その後、科学者たちは核廃絶と核の拡散を防ぐための平和会議を組織し、抵抗したが、それらの抵抗は有効ではなかった。いまでも世界中に約1万5000発の核が拡散している。平和団体が核廃絶をいくら叫んでも、先進国による核の抑止力により世界平和が維持されている限り、後進国に核を持つなと言っても説得力はなく、真の平和は限りなく遠い。

ゲノム編集、脳改造、人工知能、ロボット工学などのテクノロジーも、同様の局面に立たされていく。世界では、すでにクローン人間たちや脳改造された人間たちが誕生しているのではないかとの噂も流れ、攻撃用の無人飛行機の次にロボット兵士も登場しようとしている。その意味で、確実に人類は重大な局面を迎えている。まったく新しい人間の種が誕生したり、人間の代わりに戦争を遂行するロボットが登場する可能性が現実に近づいているからである。

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しかし、今後のどんな開発も、必要とするままに、自由にやればいい。遺伝子操作も、脳の改造も、サイボーグ化も、好きなだけやればいい。ただし、常に悪利用されることを覚悟し、善悪を二分し自分たちだけが善の世界に属するという囲い込みをせず、悪利用されないための条件をつねに考え、悪利用された場合には進んでその責任をとる側に加わる、という条件のもとで。

  それは、つまり、悪利用されても全体としては困らない、世界の新しいあり方を創造していくことである

「A」などよりも「B」の方が素晴らしく、「A」をつくった者が「B」を知れば後悔するような「B」を誕生させること。或いは、「A」が登場しても、「A」により「B」の存在が侵害されない「B」を創造すること。それならば努力できる。わたしたちは悲観することはない。どんな悪があっても、どんな停滞があっても、大丈夫である。

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私たちの新しい世界では、テクノロジーが人間の未来を決定するのではない。逆に、人間がテクノロジーの未来を決定するのである。人間の歴史は、これまでにも増して、「人間の夢のもち方が次の進化を決定する」という特徴的な時代になっていく。ある者は誤り、とんでもない結果をひき起こすだろう。ある者は成功するだろう。誤る者たちがひき起こす害を最小限に抑えるためにも、多くの成功事例が世界に登場していく必要がある。

こうして、問題の核心は、予想したくない事態が起きたときにどうするかという対策とマップを事前に用意しておくことだ。テクノロジーを悪利用しても、100年後には滅んでいること。ゲノム編集で生体のどんな改造に成功しても、その生体が生きる環境との間に親和性を築けなければムダなこと。何の準備もなく宇宙に進出しても、滅ぶ運命にあること。その「新しい知のマップ」が正確に形成されているほど、私たちが誤る道も軽減される。楽天的な見通しを掲げるほど、このマップは曖昧なものになる。

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