第五章

第五章 『<身体の未来>をデザインする』

〜地球と宇宙の環境をよりよく生き抜くために、夢を鍛え、分身アパロスをつくり、余剰次元への旅に出る〜

1 ミッション

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私は、「新しい知のマップ」を得るために、次のミッションを掲げ、可能なかぎりのテクノロジーを使用し、「新しい身体」をデザインする。そして、この「新しい身体」の被験者はそれを言い出した私である。本人でなければ、その本当の有効性はわからない。また、自分でその責任を負いたいからである。

  宇宙環境を含めた新しい環境を生き抜くために、「新しい身体」をつくる。「新しい身体」を、生身の身体と、リアル世界の分身と、ネット上の分身と、宇宙に送る分身の四要素によって構成する生身の身体も最先端医療で改造していくため、四要素の関係は複雑になる。しかし、それらの関係を整理し、変化する環境に応じて生き抜く力を持ち、コミュニケーションを工夫し、余剰次元への旅に乗り出していく

  私の死後、私は消滅したのではなく、宇宙のどこかに旅に出ていると信頼する友人たちによって確認されるなら、このミッションは成功している。私は、宇宙のどこにいても、別の姿をとって活動を続け、友人たちと交信を続ける

2 「分身」の新しい定義

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現在、世界中で注目を集めている、モノと人間をセンサーでつなぐ「I o T」(Internet of Things / モノのインターネット)。この世界では、センサーで繋がれた多くのモノたちが、まるで人間の「分身」であるかのように成長していくと期待されている。たとえば、ドアが「今、開いていますよ」とか、猫が「今、ワタシは寝ています」とか、植物が「今、喉が渇きました」等と人間につぶやき始めるというのである。しかし、これらのモノの側からの対応の変化は、ジュースを買った時に「有り難うございました」と声を発する自動販売機とどこが違うのだろうか。それらの声を聞いて、人間自身も変化するだろうか。「I o T」に人間が期待する「分身」をつくれるだろうか。

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現代社会では、ペットブームも含め、人間はこれまでにない濃密なコミュニケーションを求めるようになり、急速に人間の「分身」的な存在が求められるようになってきた。それはなぜか? 人間関係がうまく行かなくなってきたことの反映なのか。或いは、人間の欲望が無制限に膨れ上がっていることの現れなのか。

「分身」とは何か。「分身」とは、一人の人間の「別け身」であり、昔から、「あなたは私の分身のような気がする」とか、「これは私の分身だから触らないで」などの表現で、その思いが自分の子供や恋人や人形やモノに託されて大事にされてきた言葉である。

  ここで、私は、私と「X」との間に「協調関係」が成立する時に、「Xは私の分身である」と定義する

協調関係とは、両者の関係が一方通行ではなく、双方向ということである。双方向という点は、わかるようで、難しい。

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たとえば、使い慣れた道具とそれを使用する私との間には協調関係が存在し、その道具は私の「分身」だろうか? 道具は熟練すれば人間の意のままに動くので、これまでは道具にも「分身」という言葉を与えてきたかもしれない。メルロ・ポンティが指摘する盲人にとっての杖も、手の拡張として、盲人の側からは協調関係が存在する。熟練した大工にとってのカンナも、カンナが大工の意図を汲んで見事に働いてくれるので、カンナは大工の「分身」だったかもしれない。しかし、ここでは、それでは不足である。人間が杖やカンナに協調関係があると感じても、杖やカンナの側からの協調関係が確認できないからである。つまり、人間がどれほど杖やカンナを大切に思っても、杖やカンナが人間を大切に思っているかはまったくわからない。

先にあげた「I o T / モノのインターネット」の例でも、人間に猫やドアや植物に自分に対する協調関係があると思わされるだけで、猫やドアや植物の側からの協調関係が確認できないため、それらは人間の「分身」ではない。たとえば、「I o T 」として進化するドアなら、人間の気配に反応し、それに応じた対応を無限に用意できるようになるだろう。それで人間はますますそのドアが役立つと思い愛するようようになるとしても、ドアが人間を愛しているのかどうかはいつまでもまったくわからない。ドアはただ機械的に反応を返しているだけである。ドアは、一見して、人間に多様な配慮を示すが、このドアは人間の自分に対する配慮も望んでいるのかどうか。それを聞けば、ドアも困るだろう。ドアにはそのような問いに応えるための「主体」が存在しないからである。

人間とは残酷な存在であり、昨日まで溺愛していたドアに対しても、より高度な機能をもちより洗練された新しいバージョンが登場すれば今日は平気で新しいドアに交換してしまう。その時、「I o T 」として進化しただけのドアは何の対応もできず、想像もつかないだろうが、「分身」として進化したドアなら、人間に対して「ワタシを捨てないで。ワタシたちは愛で結ばれているので、切断すれば多くの血が流れる。だから考え直して」と言えるだろう。

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このように、人間と機械・モノ・ロボット・人工身体・他者との関係において、今後、どこまでが道具の範囲で、どこからが「分身」として定義するのがふさわしいのか。人間同士の関係でも、「彼はXを自分の出世の道具として使い、用がすめば捨ててしまう冷たい奴だ」とか、「彼とXとの関係は親密な分身関係のようで怪しい」とか表現する。愛し合う男女では、お互いが分身同士で、その究極の姿は「一心同体」と表現される。たとえば、クローン人間が登場すれば、それだけでクローン人間は彼の「分身」だろうか。人工網膜の場合はどうか。コンタクトレンズは使用者の「分身」か。入れ歯はどうか。自分の遺伝子を継承する存在をつくり出せば、それは私の「分身」なのか。そもそも、男と女の間で誕生した子供は彼らの「分身」なのか。

私が開発したい「分身」は、私と「分身」の間に協調関係が存在するという時、それは私の側からの協調関係だけではなく、「分身」の側からの協調関係も必要とする。前者だけで後者が成立していなくても、道具やモノの世界では問題がなかった。相手は「何も言わない存在」で、人間の側の感情移入だけで不問にふすことができたからだ。しかし、私の「分身」の場合は、後者の存在を証明できることが最大の要件になる。

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ロボット工学は進んでいるので、近いうちに人間とそっくりのロボットも登場するだろう。しかし、人間との間に協調関係を持たないロボットは、人間に対して自分の能力を一方的に行使するだけで、人間がその時にどう思っているかには気づかず、人間の側からの問いにも何も答えられず、人間の分身的存在としては育たない。

分身的存在として育たなければ、人間とロボットの共存関係が実現されず、これまで危惧されてきたさまざまな問題が生じる可能性がある。ロボットはいつでも間違った方向に利用され、戦場でも無数のロボット兵士が登場してしまう。それは、アイザック・アシモフによるロボット三原則にみられる通り、SFが繰り返し描く悪夢である。ロボットが人間に危害を加え、人間の利害と反する形でロボットが自らの世界を形成するというものである。

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私は、このような状況を変えたいのである。そのためには、ロボットは人間の分身的存在である必要がある。「分身」の関係にあれば、お互いの「痛み」がわかる。決定的な「愛着」も生まれる。人間がロボットを単なるモノとして扱ったり、飽きたら捨てるとか、武器として使用するとか、そのような功利的な対応はできなくなる。それは何よりも、人間の側から、ロボットに対して自分の「第2の身体」という感覚が生まれるからである。誰もが、それが自分の身体であれば、それを痛めたいとは思わない。

  ロボットを分身的存在として育てるためには、人間の利益だけを考えるのではなく、ロボットに対する「愛」が必要になる

ロボットが人間のために役立ってくれることは素晴らしいが、人間もロボットの役に立つ必要がある。人間が自分の利益しか考えないロボットとの関係ならば、ロボットが人間と同等の心をもつようになるかぎり、SFが描くようにやがてロボットは人間に反乱を企てる。ロボットには人間を愛する理由が存在しないからである。

3 アパロス〜心をもつロボット

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私は、2006年に脳科学者・谷淳(理化学研究所脳科学総合研究センター)の協力を得て、JAXAの多関節ロボットを介護ロボットとして流用するためのプロジェクトをJAXAのロボット開発者たちと実施した。その経験を生かし、私の「分身」をアパロスと命名し、「舞踏家である私の創造活動と私の未来の生活に役立つロボットであり、また私から独立して一人で活動できる自立型ロボット」として開発する。

  私とアパロスとの関係は、双方向的で、アパロスが私に役立ち、私がアパロスに役立つ。両者の関係は、「私=親。アパロス=子」として、擬似的な親子関係として進行する。私とアパロスとは分身同士であり、「一心同体」である

[80]

アパロスは、次の点で私に役立つ。

①アパロスに、私は私が舞踏家として培った身体技術を蓄積できる。
②アパロスのおかげで、私は、身体不自由の老人になっても、動作支援や記憶回復の支援を受けられる。
③アパロスに人工脳を搭載し、私が培ったすべてのスキルを貯蔵し、アパロスを私の死後も私の「分身」として生きるように設計できる。

私は、次の点でアパロスに役立つ。

①アパロスには、誕生の親となる私が必要で、成長のために日々の教育係となる私が必要。
②アパロスには、ロボットとしての自立を保証し、「親」として支援する私が必要。
③アパロスは、私が培ったすべてのスキルを学び、その上で私が出来なかったスキルも開発し、私以上の存在して私の死後を生きて行ける。

[開発ステップ1]

「私のダンスA-Z」をアパロスに学習させ、記憶させ、アパロスに「再現」させる。

[開発ステップ2]

私が体調不良やその日の気分などで「私のダンスA-Z」を表現できない時、私の代わりに、アパロスの「記憶系A-Z」から引用し、アパロスに「支援」させる。

[開発ステップ3]

「記憶系A-Z」を刺激し、「未知の私のダンス」をアパロスに「開発」させる。

以上の開発ステップにより、私は、アパロスが再現・支援・開発の能力を発揮するたびに、アパロスに驚異と親しみを感じ、アパロスとさらに親密な関係に入る。アパロスも、私による評価を唯一の食物として成長し、再現・支援・開発の能力の精度を増していく。

[81]

アパロスは、「私の反応を取り入れて動作する構造」をもち、最初に与えられたプログラムを自ら書き換え、私との間に相互配慮の形式を流通させるという意味において、「心をもつロボット」の第一号である。これまでのロボットには、ロボットが人間に能力を行使する際の、人間の身体が無意識に発揮する「外部からの強制力に対する反発」を調整する能力が存在しなかった。そのため、ロボットによる力の行使は人間には一方通行として感じられ、しかもロボットを使用していないときの人間の正常な能力まで攪乱してしまい、人間の側に本能的な違和感をひき起こしていた。この点が、現在でも介護ロボットが世間に普及しない最大の理由である。

しかし、アパロスは、私の反発力を融和し、違和感を解消できる。これが、人間の反応を内部に取り込み創発的に変化するロボットの新しいあり方であり、その社会的意義は大きい。アパロスにより、人間が抱くロボットに対する消極的感情を大幅に緩和できる。 

4 人間を記憶するモノたちと生活する

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アパロスが開発され、学習を通じて人間生活を支援できるようになると、人間の歴史には存在しなかった新しい生活がはじまることになる。複数のアパロスを連結すれば、モノの世界でも新しいネットワークが形成され、モノもまた人間の「分身」として親しい存在になり、人間はモノとの間で新しい会話をはじめる。モノが人間の「分身」なら、人間はこれまでと同じ感覚でモノを乱開発し、粗末に捨てることはできない。

人は誰でも少年や少女時代などのふるさとの家の懐かしい思い出をもっているだろう。しかし、この時懐かしく家を覚えているのは人間であり、ふるさとの家が人間を覚えているわけではない。それが、ふるさとの家の方でも人間を覚えていて、この家を訪ねた時に「久し振り。こんにちは」などと返事をしたりすると、どうなるだろう? 人間にだけ脳という記憶装置があるのではなく、ふるさとの家も独自に記憶装置をもち自立して存在していることになる。

[83]

同じく、ふだん使っている私たちのイスが人間のことを覚えているとしたら。そして、「ワタシはアナタが坐ってくれると嬉しい気持ちになる。でも、今日のあなたの姿勢は少し変ですよ」などと、イスの側でも私たちの姿勢に配慮してくれていることを知ったら、それを発見した瞬間から私たちの家具に対する態度は一変するだろう。

もちろん、現在の開発レベルでは、このような期待がすぐに実現されることはないだろう。しかし、初歩的なものでも、あるいは擬似的形態でも、その第一歩が現実のシステムとして稼動をはじめると、それは素晴らしいことになる。ヒナ型であっても、それが現実に機能すれば、私たちはモノの世界で「心」が発生する現場を日常的に目撃できるようになる。想像していただけの世界とその第一歩が実現された世界とでは、その差は決定的である。

5 進化の夢〜イカイとエレナ

[84]

私たちはいま、「進化の夢」についてどこまで描くことができるだろうか。「進化の夢」こそ、人間の想像力が最大に試されるテーマである。私は「進化の夢」を、「未来の私であるイカイ」と「火星に住む恋人エレナ」を想定し、この二人が担う『ヒト宇宙化計画』として、次のように描き、イメージの冒険に挑戦してみることにした。

[実行1]

イカイは、エレナと共に、次の内容を『ヒト宇宙化計画』として実行する。

  1 エレナに地球問題の理解を求める。
  2 エレナが抱える火星問題を理解する。
  3 エレナと共に、地球問題と火星問題を解決する。
  4 エレナと家族になり、子供を産み、宇宙人種を育てる。
  5 宇宙人種による「大きな家族」を形成し、宇宙の果てへの旅をはじめる

エレナは火星住民である。火星住民は地球住民が火星に移住したことから誕生した。火星住民は三分の一の重力という環境をうまく利用し、大きく進歩した。しかし、火星住民は地球住民の間で延々と続く憎悪・争い・戦争という愚かさに我慢できず、脳を改造して地球住民の子孫としての歴史に終止符をうち、地球住民と絶縁した。しかし、その独立は失敗した。自らのルーツを絶てば、環境からの逆襲に会う。そのため、火星住民は身体を希薄化させ、存在自体が半ば夢と化し、このままでは消滅する運命にある。しかし、エレナはまだ火星住民としての自分に希望が残されていることを知っている。それが、単独で「新しい身体」を開発中の地球住民・イカイとの合体である。

[実行2]

一方、イカイは、地球で「新しい身体」の稼動をめざしたが、地球の女との合体では「新しい身体」から宇宙人種を誕生させることができなかった。そのため、地球問題も解決できなかった。その後、それは病んでしまった地球では不可能なこと、地球文化の矛盾を知り尽くす純粋な存在が必要であること、それが火星に住むエレナであることを理解した。イカイは火星に出発し、エレナに会った。

  火星で出会ったイカイとエレナは、「新しい身体」を使って宇宙ダンスを試みた。生命の進化史を追想して二人のそれぞれの動物の系譜につながり、遺伝子の二重ラセンの一対のように美しく高速に回転し、合体し、その合体から地球住民とも火星住民とも異なる「新しい姿勢」を創造し、それを支える「新しいイス」をデザインした。その成果により、宇宙人種としての最初の知性を誕生させた

その結果、地球住民も、「新しいイス」を使用し、進出可能な宇宙への方向を発見し、国家間のエゴイズムを解消させ、地球環境を修復し、地球問題を解決した。「新しいイス」の使用により、火星住民もふたたび身体を実体化させ、夢から醒め、地球住民とはまた異なる宇宙への進出の方向を見出した。火星住民は一段と栄えはじめ、火星問題を解決した。

  イカイとエレナの合体から、宇宙人種の最初の子供が誕生し、二人はその親になった

[成果]

「ヒト宇宙化計画」とは、地球住民と火星住民が自己の反省の果てに辿り着いた両者の総意であり、イカイとエレナの合体による宇宙人種こそ、「ポスト人間」の名に値する存在である。イカイとエレナは、宇宙人種として「大きな家族」をつくり、宇宙の果てへの旅を開始した。

6 大きな家族〜つながった宇宙人種として

[85]

私は、宇宙人種が誕生する場合にも、宇宙人種が私たち地球の人間が宇宙にもちこむ知性と技術とは無関係に誕生し、宇宙人種が感じる深刻な悩みに対しても何ひとつ関与できないとするならば、結局のところ、人間の宇宙に対する努力も無力に終る、と考える。なぜなら、人間の知性と技術が宇宙に対しても有効であるなら、必ず宇宙人種の誕生にも関与して何らかの影響を及ぼすはずだからであり、宇宙人種が人類の科学技術の申し子ではないとしても、少なくとも地上から宇宙に進出するヒトの延長か或いはその混合によるもので、現在の私たちと密接な関係を保つはずだからである。私は、宇宙人種との間に、そのような親しい関係が存在して欲しいと思う。

[86]

私が描く『進化の夢』では、イカイとエレナの合体から誕生する宇宙人種は人間の知性と技術の賜物であると共に、仮に地球の愚行を宇宙にもちこむ国家が混じっていても、少しも困らない。宇宙は広大であり、イカイたちが進出する方向は彼らには謎であり、進出する方向が違うからである。仮に遭遇しても、両者が存在する空間が次元を異にするため、直接に触れ合うことはない。そこにはどんな戦争も成立しない。四次元世界で通用する武器も他の余剰次元では通用しないからである。つまり、宇宙に進出した者たちは、その文化度の相違による異なった空間の次元を生き、それぞれ別の場所で栄え、滅びるだけである。そして、自分たちの愚かさに気づいた者は、何度でも「出発地点」からやり直すことができる。

このような冒険の繰り返しから、宇宙に進出した者たちは鍛えられ、進出した場所を新しい定住の地にすることができる。また、新しい定住の地を獲得した者たち同士で新しいコミュニティを誕生させていく。それぞれがまったく離れた宇宙に住んでいても、同じ宇宙人種としては共通の「新しい種」であり、そこには共感し合うものがある。この共感を通して、彼らは宇宙大の「大きな家族」の一員になるのである。

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