第11話

■目次

[序]
心改造ゲームがはじまった
[第1部]
【第1話】 スペーストンネル少年少女学校
【第2話】 現実(四次元時空)と異界(五次元時空)
【第3話】 ノアとアスカ
[第2部]
【第4話】 王女の夢、電脳サイト『イスタンブール』

[第3部]
【第5話】 異界の住人たち~キベ・タナ・エレナ

【第6話】 メタトロン軍の野望と戦略
【第7話】 エックハルト軍の『ヒト宇宙化計画』
【第8話】 アトム4世~ヒトを愛せるロボット
【第9話】 宇宙の花計画~破壊される月
【第10話】 エリカ攻撃と、イカイとエダの情報戦争
【第12話】 電脳恋愛の光と影

【第13話】 大家族の出現

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【第11話】 ノア、脳回路を使い分ける


1 奇跡が起きた!

私の身体にいま起きていることは、一体何だろう?
私の場合は、脳の側頭葉が膨らむだけじゃないみたい。もっと脳の内部に変化が起きていることを感じる。イカイ先生やお父さんに聞いてもわからない。しばらく様子を見ないとダメだって。でも、しばらくって、いつまでなの?
私が失明を回復した去年のことは、いまでも昨日のことのようによく覚えている。それは、本当に奇跡の感覚っていうしかない不思議な経験だった。それが、いままた、同じようなことが起きようとしているみたい。今度は、どんな新しいことが起きるの?
私は、夢の中に出てくる空を飛ぶ少年のことが気になっている。その夢を見ている時に限って、脳の内部がむずむずして仕方がないから。この感触は何だろう。失明が回復したことと関係があるのかしら?

去年のあの日。それはとても寒い一月の朝だった。起きたら、私が、部屋の中を見回していた。アスカの顔もじろじろ見ていた。窓の外の風景もじっと見ていた。
寒いわけだ。窓の外では雪がしんしんと降っていた。たくさんの雪が積もり、あたり一面は真っ白な雪景色。そういえば私は小さい頃は雪が好きだった。よく雪の中でころんで遊んだ。友だちと雪合戦もした。それでいまあの頃のことを懐かしく思い出していたのだ。最後に雪を見たのはいつだったろう? 私は雪が好きだ・・・。
「えーっ? 一体どうしたの? まさか!・・・」
私は思わず叫んだ。だって、私はいま目が見える人間のように話している。じっと物思いをはじめた。真実であって欲しい。そばに付き添っていたアスカが心配して聞いた。
「ノア、どうしたの? 見えるの?」
「ええ、見えるわ。見えるのよ」
そうか。これがアスカの顔か。はっきり見える。はじめて見る恋人の顔。こんな顔をしていたのだ。
「よかった! ノアは回復したんだね。バンザーイ、やったね!」
アスカも小躍りして喜んでくれている。
「これがあなたの顔ね。触ってもいい? もっと近くに来て。確かめたいの」
「もちろん」
アスカが顔を差し出したので、私は触った。触って、触って、アスカの顔を確かめた。
「へーっ、想像していたよりいい男ね」
目。鼻。ほっぺた。口。そして、手。私と同じように側頭葉が膨らんだ頭。髪の毛。からだ。どこを触っても嬉しい。私は何だか恥ずかしい。
「えーっ、変な気持ち。でも、あらためて、はじめまして」
アスカも、何だかもじもじはじめた。彼も恥ずかしそうにしているので、可愛い。
「うん。はじめまして」
アスカも私をじっと見ている。
「何て嬉しいの! 私、あなたが見える。そして、部屋の中も。外も。雪も。全部見えるの!」
「うん。昨日君のお母さんから電話があって、ノアの目の包帯をとるから病室に来ないかと言われた。お父さんもお母さんも一緒に今朝早く来た。いったんお母さんは家に戻り、お父さんも会社に行った。でも二人ともすぐもどって来るよ。僕はさっき来たばかり。君が最初に見たのが僕なんて、嬉しいよ。記念になるね」

失明が直ったのだ。奇跡が起きた! 嬉しかった。お父さんやイカイ先生が言った通りになった。10年振りの視覚の世界。アスカの顔もはじめて見た。最近ボーイフレンドになったばかりのホヤホヤの関係だ。ずば抜けてハンサムではなかったけど、精悍なタイプで、頼もしい。私の勘に狂いはなかった。頼りになるいい男だ。そして、私の顔。私のからだ。彼や家族が帰った後で、病院のお風呂場の鏡で一人で自分の裸の姿をじっくり見た。自分で言うのもヘンだけど、キレイだと思った。少し心配してたけど、これで彼に対する自信もついた。確かめるまではちょっと不安だったから。

お父さんに連れられて、この学校に来たこと。
ここで、斉藤先生という自分に合った医者を見つけることができたこと。
私の彼がアスカだったこと。
私は運がよかった。

斉藤先生は、お父さんの説明によると、お父さんの親友の一人。ニューヨークで眼科医を長くやった後に、しばらく海外に行っていたけど、お父さんの紹介でフジイ博士という新・国連の偉い人に会い、新・国連が関係する病院の先生になった。新・国連では、フジイ博士が一番偉い脳科学者で、斉藤先生がその次に偉いそうだ。そして、斉藤先生の子供が、アスカ。
でも、斉藤先生はほんとうにお医者さんかしら? お医者さんや科学者にしては、言うことが変わっていて面白い。性格も変わってる。人の前ではいつも笑って明るいけど、私は目が見えるようになってからも何度も斉藤先生が一人でいる時にすごく暗い顔をしているのを見た。その時の顔が、笑っている時とは別人だ。でも、いわゆる「飛んでる人」で面白い。「ノアは原因不明で失明したので、原因不明で直る可能性がある。信こそ力なり。直ると思えば直る!」なんて、まるで宗教家みたいなことを言って、いつも私を励ましてくれた。私は先生といると笑ってばかりだ。いつも明るい気持ちになれた。私の知らない面もあるのかも知れないけど、こんな先生は素敵だと思った。だから、最初にアスカを紹介された時、先生とそっくりな顔をしているので、すぐ好きになった。
斉藤先生は、私の失明の原因が物理的要因ではなく、ある種の心因性に関係していることを突き止めてくれた。私の場合は、生まれた時、私だけが家族の中でもひどい近眼だった。そして、お父さんによれば、私は好き嫌いがものすごくはげしかった。小さい時には癲癇気質もあり、急に倒れたり、急に暴れ出したこともよくあったという。目の網膜に問題がある場合は、失明の原因はわかりやすいという。でも、私の網膜は正常だった。だから先生は、これは「僕の推測」と断った上で、私が子供の頃は喋ることが苦手だったこと、見たいものと見たくないものの差もはっきりし過ぎていたこと、それらも原因で視覚情報を脳に送る回路に障害が発生していたかも知れないと言った。もちろん正確には不明だけど、その可能性があるとのこと。
お父さんは、自分も卒業したこの学校に私を入れることで失明が回復することを期待した。斉藤先生の診断を当てにしたのだ。この学校の訓練では、イカイ先生の意見だけではなく斉藤先生の意見もあって、姿勢創造訓練と脳の活性化プログラムをリンクしてやっている。この手法は、世界的にもユニークで、まだ新しい方法らしい。
お父さんは、もともと私を、一種の特異体質者と考えていた。だから、失明が直るとしても、それは眼科医の仕事ではなく、脳外科医の仕事ではないかと見当をつけていた。それで、私がこの学校に入り、姿勢創造訓練と脳の活性化プログラムを同時に受けるようになったら、お父さんの期待通り、私の脳は特有の症状を示し、私は少しおかしな才能を発揮し始めた。その時の相棒がアスカだったことも、幸運だったみたい。アスカも、私とは別のタイプの特異体質者で、相乗効果を発揮したそうだ。斉藤先生は、こんな私の様子を見て、面白いと思ったらしく、必要な手術のアイデアをつかんだそうだ。
私はなぜか、斉藤先生は信頼できた。明るい性格と暗い面が何だかいい具合に混じった感じで、先生の雰囲気が好きだった。だから、先生に最初に手術を提案された時、「お願いします」と素直に言えた。お父さんもお母さんも、もちろん反対しなかった。そして、先生の診断に従い、脳の言語野と視覚野の神経回路の一部を手術したら、症状が改善し始めたという。半年前に改善の兆候が現れたので、あとはただ先生の言うことを聞いていればよかった。先生に「見えるようになりますか? その確率は?」と聞くと、「200パーセント。見えるようになる。心配しないで!」といつも答えてくれた。でも、もちろん心配だった。直ってみなければわからないからだ。病室にお祝いに来てくれた先生に、「ほんとうは、確率はどの位だったのですか?」と聞いたら、「正直、半々だった。ノアの信じる力が頼みだった」と言っていた。やはり幸運だったんだ。
たぶん、私の見たいと思う気持ちも作用した。私は、ある時から、世界がとても見たくなった。それまで、視覚がなくても世界を充分に感じていたし、正直、特別不自由とは感じていなかった。ずっとこのままでも構わないと思っていた。でも、ある時から、視覚が欲しいと思うようになった。特に、夢の中に出てくる空を飛ぶ少年について、私は同じ少年が現実の世界にも存在していると感じていたから、それを自分の目で確かめたくなった。

2 試練

実は、私は、5年前の12才の時に、他の病院にいて、ひどい目に遭っていた。だから、ほんとうは、手術はもうこりごりと心の底では思っていた。
5年前の病院は、私の住む近くの病院が紹介してくれた東京都内の大学病院で、その時の病気は別の病気だった。糖尿病に似た症状で、お腹に水がたまり、顔が月のようにふくれる病気。診断は、脳下垂体に腫瘍ができるクッシング症候群。珍しい病気で、年間の発症者は50人位。国から難病に指定されていた。家族はみんなすごく健康なのに、なぜ私だけが目が見えなかったり、こんな変な病気になったりするのか。それが理解ではなかった。神さまは不公平だと、悲しくて何度も怒って泣いた。
その病院はクッシング症候群の治療で全国的に有名だった。そして、その時の先生は、付き添ってきてくれたお母さんと私に、次のように宣告した。
「下垂体の検査を含め、血液やホルモン異常やすべての検査の結果から、クッシング症候群に間違いないと思います。ほっておけば、この病気の患者は5年以内に死亡しています。一日も早く手術を行い、脳下垂体から腫瘍を取り除く必要があると思います」
お母さんの顔が真っ青になった。私も、もちろん驚いた。
「なぜ、ノアに、そんな病気が?」とお母さんが聞いた。
「原因はまったくわかっていません。日本でも珍しい難病に指定されています」と医者は答えた。
私は、頭痛と吐き気の症状がひどく、自分ひとりで立って歩く体力もなく、顔はムーンフェイスだし、学校も一ヶ月も休んでいた。こんな苦痛からは一日も早く解放されたい。そして、私に手術を受けようと決心させたのは、先生の次の言葉だった。
「正しいかどうかはわかりません。私は脳外科医で、眼科の専門ではないので。ただ、ノアさんに小さい時に癲癇の症状があったこと。7才で原因不明で失明していること。それも脳下垂体の腫瘍が影響しているかも知れません。この腫瘍は目の視神経をつよく圧迫しますから。この腫瘍は良性ですが、脳の根幹にあるため、いろんな悪さをします」
先生の言うことが当たっているとすれば、私はこの手術で失明も直るかも知れない。私は、手術を受けることを決心した。家に帰り、お父さんとお母さんに私の希望を聞かれた時、私は「受けたい」と答えた。お母さんも、「そうね。先生の言葉を信頼して、賭けてみるしかないわね」と言った。お父さんも反対はしなかった。
しかし、その代償は大きかった。万一に備え、家族全員が付き添う必要がある開頭手術という大きなリスクを背負い、二ヶ月も入院したのに、結果は失敗。切除した脳下垂体の中にその腫瘍はなかった。
先生は手術の1週間後、集中治療室に移されまだ意識が朦朧としていた私のベッドで、お母さんに淡々として言った。
「99パーセントの確率であるはずの腫瘍がありませんでした。クッシング症候群の診断は間違っていないはずなので、他のホルモン中枢に腫瘍が移動している可能性があります。副腎を検査し、副腎にあるという結果で出た場合には再手術をしたいと思いますが、どうされますか? 判断は急ぐべきであると思います」
私は、顔がパンパンに腫れ上がり、術後の痛みがものすごく、完全な脱力状態だったし、何も言えなかった。お母さんが先生に食ってかかった。こういう時のお母さんはすごく頼もしい。
「先生! この子の副腎も切るつもりですか! まず、先生の脳下垂体に腫瘍があるという診断が間違っていたことに対する謝罪と説明はないのですか? あるはずのものがなかったわけだから、先生の診断は間違っていた」
「手術同意書には、こういう場合もあり得ることが書いてありますが」
先生は涼しい顔で答えている。場慣れしているのだ
「無責任です! 今回のことをきちんしてから、次の話しをすべきです。先生は、副腎も切ってそこにも腫瘍が無かったらどうするのですか。同じことを言うのですか? 確率の問題だから仕方ないと。そして、また別のホルモン中枢ですか? 次は甲状腺ですか?」
お母さんはカンカンに怒ってしまった。こんなに怒ったお母さんをはじめて見た。私も同じ気持ちだった。ヒドイ先生、と思った。私に対するすまないという気持ちはないみたい。私は、1週間後、お母さんにつき添われて退院した。
お母さんの判断は正解だった。私の症状はその後も続いて苦しかったけど、お父さんが私と同じような症状を持ちながら中国漢方で直したという人の情報を手に入れた。お父さんの情報網はすごい。どこからそんな情報を仕入れてくるのだろうか。そして行動の決断が早い。思えばどこにだって飛び出していく。いつも家族の身になって考えてくれるので、お父さんはお母さんからもすごく信頼されている。

私はさっそく試した。
そして、何と、半年後にはこの症状がすっかり消えてしまった。
まるで魔法みたいに。

後になり、お父さんが探し出した別の病院で診察を受けた時、私の症状は変形の糖尿病で、クッシング症候群に似ていただけのことがわかった。クッシング症候群という診断は誤診だった。同じくお父さんからの情報で、あの時の先生は手術の成功事例を増やしたくてしかたない人で、患者にすぐに手術を勧めることでも有名なことがわかった。おかげで、私は脳下垂体を切除し、ホルモンを補う薬を一生飲みつづけなければならない。もちろん、失明の回復にも何の効果もなかった。
でも、悪いことばかりではなかった。お父さんが、意地でも私の失明の原因を探ろうと決意したのは、この時だから。お母さんも頼りになるけど、お父さんもすごい。
後でお父さんに聞いたところでは、お父さんは私に中国漢方が効いたことで、失明の原因がもし心因性にあるなら直る可能性もあると考えるようになったそうだ。私もそう思いたかった。
こうして、お父さんによる新しいお医者探しが始まった。そして、そのお医者さんの組合せは、思いかげず近いところにあった。それが、スペーストンネル少年少女学校の校長のイカイ先生と、斉藤先生だったのだ。斉藤先生は、西洋医学の脳外科の先生だけど、特に中国漢方を含むアジアの医療に詳しくてそれも治療に取り入れている。考え方の広い先生だった。私は、スペーストンネル少年少女学校に入り、斉藤先生の治療を受けることで、手術もしないで失明が直った。この遠回りの道のりを感謝したい。

3 聴覚や触覚でモノのかたちを見る

斉藤先生の病院から退院した後、私はまさに生き返った感じで、猛烈に勉強をはじめた。
脳の仕組みも、自分の感覚を頼りに少しわかってきたので、斉藤先生が勧めるBMIによる新しい学習方法も身につけた。スペーストンネル少年少女学校での成績は抜群にアップした。こんなやり方があるなんて。これまでの学校の先生はもちろん、友だちも誰も知らない。
それで、つい最近『動物感覚』という本で読んだばかりだけど、自閉症の動物学者として有名なアメリカのテンプル・グランディン先生は、人の言葉を聞いた時、それを映像に自動的に翻訳して「見る」という。相手の言うことを、言葉として考えて理解するのではなく、映像として見るらしい。すごいと思う。何だか、とてもわかる気がする。そしてテンプル先生は、牛が特別に好きで、牛の気持ちや感覚も、牛が取っている姿勢を自分も取ることで、理解できるそうだ。それついては、私も毎日学校で姿勢創造訓練をしているので、まったく共感できる。テンプル先生が高校生の時に開発したという「不安解消抱きしめマシン」も有名で、何だか私も自分のことのように嬉しい。極度に不安になった時や痙攣が始まった時に、このマシンに入り身体を締め付けると、天国に行ったような気分で、どんな症状も治るそうだ。テンプル先生は、別の人の本では「火星の人類学者」と紹介されていた。
私は、何だか自分がテンプル先生に近い存在なのかも知れないと思う。というのも、私は小さい時は家で飼っていたアトムの犬小屋で一緒に寝るのが好きだったし、アトムと同じ姿勢でいると犬の言葉がわかると真剣に思っていたから。「私は、犬だ!」と叫ぶのが大好きだったことをよく覚えている。ご飯を食べた後はすぐ寝転んでいたので、親からは「ノアは牛みたい。寝てばかりいると牛になりますよ」と脅かされていたけど、実際その姿勢の時は自分を牛だと思っていたので仕方ない。時々癲癇の発作もあったので、はげしく震えるからだをお母さんにきつく抱きしめてもらうのも好きだった。きつく抱きしめてもらった時だけ、私は自分が人間のように感じた。だから、テンプル先生の「不安解消抱きしめマシン」はよくわかる気がするし、日本でも買えるなら私は今すぐにも欲しい。

私の場合、斉藤先生によれば、10年間の失明期間の間に、視覚を補うために、「聴覚や触覚でモノのかたちを見る」訓練を自然にやっていたことになるそうだ。そのため、言葉の力ではなく、映像感覚が進化しているはずだという。つまり、私も、テンプル先生の場合に似ていて、聴いたり触ることでモノのかたちを見ていて、脳の回路をふつうの人とは違う風に使っているという。
たしかに私は、失明してから、映像で考えるようになったような気がする。家族や友だちも、みんなすごく私のことを思いやってくれたけど、でもその思いやりには少し誤解も含まれていた。つまり、私は、みんなが心配してくれたほど、毎日「闇」の中で生活していたわけじゃない。私はいつも、周囲の音や感触から類推して周囲を「見ていた」し、人が私からどれ位離れて、どこにいるかも含めて、立体的に空間を感じていた。それで、私の目にも脳の中にも或る種の「光」があふれていた。真っ暗で怖い、という感覚とは違っていた。
そして、たぶん夢では、ふつうの人よりも豊かな夢を見ていたのでないかと思う。というのも、私自身、失明の前と後とでは、まったく違う種類の夢を見るようになったから。私は、失明してから2年ほどして、それまで見たことがない種類の一人の少年についての「詳しい夢」を続けて見るようになった。私が「詳しい」と言うのは、それが立体映像のように細部まで鮮明だったからだ。

私は、この少年を、すぐ近くから見たり、
遠くから見たり、
上の角度から見たり、
斜めの角度から見たり、
まるで建物の模型をいろんな角度から見るように、自由に選んで見ることができた。
少年の気持ちも自分のことのように、手に取るように感じた。
少年は、いつも泣いていた。
そして、時々私に話しかけてきた。
だから、よけいに私はこの少年が気になった。
なぜ泣いているのか、知りたかった。

この少年は、いつも私の街と郊外にある森の間を走って往来していた。森の中に大切な用事があったみたい。また、時々宇宙に出かけて来たと言っては、私に意味不明の事件の報告もした。私は、夢なのに、まるで現実であるかのような物語を、痛いような感覚をもって見るようになった。この少年は私の家族じゃない。でも、私には家族同然になった。感覚的に私とすごく近くに生きていると感じたからだ。
失明する以前の私の夢では、こんな少年は登場しなかったし、立体映像も見なかった。いろんな登場人物が登場してきたけど、彼らのことはすぐ忘れたし、何も覚えていない。
小学校4年生の時、私が教室で、面白いからふざけてみせただけだけど、少年の声で変な予言のようなことを口走るようになったので、友だちは私のことを宇宙少年と呼ぶ子も出てきた。その少年の夢はいまでも続いている。自由に立体的に見ることもできる。でも、失明が回復してからは回数が減っている。少年の顔も少しづつ変化をはじめている。大人になるの? 私のように? 少年は私が失明していた間のメッセンジャーだったのかも知れない。たぶん、いつか、現実に私の前に登場するための。

4 言語野と視覚野、問題を二つに分ける

私は、こんな調子で、イカイ先生の薦めもあったので、その後も斉藤先生について「脳の訓練」を続けることになった。斉藤先生によれば、私の事例はかなりユニークということ。私は他の例を知らないので、何がユニークなのか、私に何が起きているのかは、依然としてよくわからない。でも、それでも構わない。私の脳の内部でむずむずしている部分を頼りに、それが何を意味するのかが明確になるように、斉藤先生を信じて訓練を続ければいいのだ。
具体的に、BMIを使ったエクササイズとして、学校で出される試験問題について、二つの種類に分類する訓練がはじまった。それは私の成績にも直接つながるし、実用向きなので、一石二鳥というのが先生の判断だった。
斉藤先生が出した訓練は、次のようなものだった。

深く考える必要がある問題は、言語野の方に振り分ける。
像として記憶していれば済むことは、視覚野の方に振り分ける。
問題を二つに整理して解決してください。

こんな操作は、私の主観に頼るわけだから不安だけど、感覚的には理解できる。私の場合は、別にBMIを使わなくても、何か言葉を聞いた時、映像で記憶する脳回路を無意識に優先するようになっている。下地ができているのだ。だから、先生によれば、BMIを使うときは、意識的にこの脳回路を使う訓練をすればいい。それだけで、まだ不安定だった脳回路の安定性が増し、言語野も視覚野ももっと成長するそうだ。
実際に、私の成績が抜群にアップしたことを考えれば、先生の仮説は当たっているみたい。学校の勉強では、記憶しなければならないことがやたらに多い。でも、そのほとんどは、映像として記憶しておけば済む。それについていちいち考える必要はない。そして、考える必要がある時だけ、考える。言語野に対する負担が減っているので、その分だけ精神が冴えるという感じがする。以前はすぐに疲れて思考停止になりがちだったテーマも、今では驚くほど明晰に考えることができるようになった。一方で、記憶力は倍増した感じ。パソコンの記憶用ハードディスクをギガバイトからテラバイトに交換したのと同じような感覚だ。これはいい。要するに、言語野と視覚野を使い分けることで、脳の負担が軽くなり、私は疲れることが少なくなった。スッキリとは、こういう状態をいうのだと思う。

斉藤先生は、新・国連では、言葉を映像に高精度で翻訳できる新しいタイプの仮想メガネの開発グループに属しているとのことだ。だから、こういう話題は先生の専門なのだ。もちろん、私には疑問も限りなく湧いてくるので、何でも質問する。先生も私には親しみやすいので、何でも話せる。先生の方でも、私の顔を見る度にいつも私に声をかけてくれる。
「最近の調子はどうですか?」
私も元気よく答える。
「すごくいいです。成績もどんどん上がっています!」
「それはよかった。映像を任意に立体化して見る訓練も進んでいますか?」
「私はそれが特別に楽しい。苦痛になりません」
「ノアのその能力は、訓練でもっともっと成長しますよ」
私は最近の自分の疑問を先生に聞いてみた。
「先生。一つ質問があります。脳の活性化が大事っていろんな本に書いてありますけど、私の場合も脳を活性化しているの?」
「ノアの場合は、活性化ではなく、使い分け。一般的には、かえって活性化しない方がいいのです」
「えーっ、なぜですか?」
「脳が一つの全体として動く生き物だから。たとえば、Aという脳機能だけを活性化すると、全体の能力が落ちることがある。他の障害が出る場合もある。バランスを見ないといけないわけです。だから、Aにだけ注目しているお医者さんに出会うと、危険です。全体のことを考えていませんからね」
「それは大変! 私もいちど酷い目に会いました」
「ノアの脳下垂体を切除した手術が誤診だったことは、私もノアのお父さんから聞いていますよ」
でも、なぜか先生は、ニヤニヤしながら私の顔を見て言った。
「だから、ノアは、私にも注意しないとね。気がついたらとんでもない場所で目を覚ますかも知れない。私は人さらいかも知れないですよ」
先生はお茶目なので、また私をからかうつもりなのだ。私も先生に合わすことにする。その方が楽しいから。
「はい、注意します。先生は人さらい? 脳さらい?」
「昔は、脳さらいをやっていましたよ」
先生は不思議な人だ。時々私にはわからない時がある。こんな先生が、アスカのお父さんで私は嬉しい。先生は、最後にまとめに入った。
「要点は、むやみに脳を活性化する事は危険ということです。バランスに注意すべきで、ノアの場合も言語的思考と映像的思考の両方を大切にすべきです。どちらか一方だけに偏ってはいけない」
「それが、私が注意すべき学習の要点ですね」
「そう。脳マップの変化に注意して欲しい。ノアが時々訴える脳の内部のムズムズ感については、正確にはまだ正体がわかりません」
「私の夢の中の少年にも、まだ私は出会えていません」
「急ぐ必要はないですが」
「でも、私は、出来るだけ早く会いたい」
「多分、その日も近いと思います」
「先生は、私の少年についてもチェックしてくれるのですね?」
「もちろん、チェックします。それが私の仕事ですから。ノアの事例は私の研究にとっても特別。ノアが映像を任意に立体的に構成できる点が面白い。その関係で、ノアの言語野もどこまで成長するか。頑張れば、ノアは人がやっていない仕事をできるようになりますよ」
「私のような人間は増えていますか?」
「これから増えてきます。でも、ノアのように自覚的な脳の訓練をしている例はまだ少ないですが」
「私がどうなるかが重要ということですね」
「ノアには期待していますよ」

私の場合、失明していた時は辛かったけど、おかげで素晴らしい道が手に入りそう。感謝の気持ちを誰かに返したい。私は、近い将来にアスカと一緒に火星に行きたいと思っている。来年から、未成年者からも火星移住の募集が開始される。今では火星住民と地球住民との合体プログラムも順調に開始されていて、新しい火星都市の建設が始まっているのだ。

火星住民と地球住民との合体プログラムで、
火星で生まれる第一世代の子供たちが育ちはじめる。
私も、自分の子供は火星で産みたい。

火星に慣れたら、次は木星の衛星だ。テンプル先生のように、私も「惑星の人類学者」になれるだろうか? 斉藤先生は、人間が行ったことがない未知の場所でこそ私のような能力が役立つと教えてくれた。イカイ先生も、もちろん私を応援してくれる。新しいタイプの建築家とか、脳機能をフルに拡張した多次元コミュニケーションのオルガナイザーとか。そういう新しい仕事を私は火星や他の惑星でしたい。一体どうなるだろう? 誰も聞いたことがない、私にぴったりの仕事が待っている気がする。

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