第9話

■目次

[序]
心改造ゲームがはじまった
[第1部]
【第1話】 スペーストンネル少年少女学校
【第2話】 現実(四次元時空)と異界(五次元時空)
【第3話】 ノアとアスカ
[第2部]
【第4話】 王女の夢、電脳サイト『イスタンブール』

[第3部]
【第5話】 異界の住人たち~キベ・タナ・エレナ

【第6話】 メタトロン軍の野望と戦略
【第7話】 エックハルト軍の『ヒト宇宙化計画』
【第8話】 アトム4世~ヒトを愛せるロボット
【第10話】 エリカ攻撃と、イカイとエダの情報戦争
【第11話】 ノア、脳回路を使い分ける
【第12話】 電脳恋愛の光と影

【第13話】 大家族の出現

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【第9話】 宇宙の花計画~破壊される月


1 魔術

エリカが、ウガンダからの帰りに、朝一番の飛行機でニューヨークにやってきた。新・国連のメタトロン軍に対する『ヒト宇宙化計画』の戦略会議に彼女も出席し、発言するためだ。僕は彼女をジョン・F・ケネディ空港に迎えに行った。彼女は世界中で若い女を対象にした恋愛相談塾もやっていて、そのテーマで相談したいこともあると言う。僕たちはマンハッタンのイースト川沿いの行きつけの喫茶店に入った。
ウガンダ政府高官との商談は、うまくまとまったとのこと。「これでアフリカに進出できる!」とエリカはこの件では喜んでいる。僕も嬉しい。スペースチューブ・ロボットスーツ・ネットロボットの三点セットをウガンダ政府が大量に買い上げてくれることは大きな成果だ。彼女と僕は、以前から、無償でもいいのでスペースチューブをアフリカの子供たちに普及させたいという願いをもっていた。それは、まだまだ遊びが足りないアフリカの子供たちがスペースチューブに入ると、狂喜して楽しんでくれるからだ。それが、ビジネスとして、公式の入り口をつくれることになるのだ。子供たちの笑顔ほど僕たちの心を癒してくれるものはない。僕やエリカも仕事上ストレスが多いから、子供たちの笑顔こそ最高のプレゼントだ。子供たちの笑顔を見るたびに元気になり、僕たちは息を吹き返すことができる。
しかし、当面の懸案は、エダとメタトロン軍の最新の動向だ。

いつもは楽天家で明るいエリカも、今日ばかりは深刻な顔をしている。エダのことが気になるからだ。エリカが新・国連の戦略会議に参加するのも今日がはじめてだった。
「私もあなたも、ほんとうに大丈夫なのね?」
「君はエダに侵入されていない。だから僕も大丈夫。心配なの?」
「それは心配よ。だって、事件の舞台は私の脳なのよ。それなのに、自分では判断できない。今度ばかりは何もわからない。あなたにいくら言われても心配。私が侵入されたら、あなたにも危険がせまる。もどかしい限り。ジリジリするわ」
気がつよく姉御肌のエリカのことだ。その気持ちは僕にもよくわかる。
「メグミの時は問題なかった?」
「それは問題ない。メグミさんが私の夢に出てくる時には、いつも安心感があった。メグミさんは暖かいのよ。あまり度々なので不思議に思った時もあったけど、いまでは感謝している。あなたと私の愛はメグミさんからの贈り物だったから。でも、エダは不安なの」
「どう違うの?」
「まるで違う。正反対。エダが夢の中に出てくると、寒気がする。エダのからだは冷たい。理由はわからないけど、ものすごく苛立つの。エダが私の夢に現れると、あなたの心も揺れることが私にはわかる。だから余計なのよ。エダはあなたを傷つける存在だわ」
「僕は大丈夫だよ」
「ほんとうにそうならいいけど」
エリカの不安そうな顔は変わらない。僕もそれ以上エリカを説得できない
「それより、エダの『宇宙の花計画』の全貌が見当ついたよ。君の脳は安全だったけど、一つだけ、小さな青い刻印を見つけたことは話したよね? そのチップがほぼ解読できた。やはり暗号で書かれたエダからのメッセージだった。そこに計画が書きこまれていた」
「でも変ね。なぜ、わざわざ私たちに知らせるの?」
「誘導作戦だ」
「誘導作戦? どんな?」
「間違いないよ。僕たちの対応を君の脳から読み取り、エックハルト軍の体制を判断し、それも作戦に組み込むつもりだ。そのために君の脳に微小なチップを埋め込んだ」
「知能犯なのね」
「その通り。エダはアタマがいいよ。とにかく、会議の前に君と相談しておきたい。君にも重要な役をお願いすることになるからね」
「覚悟してるわ。何でもするつもりよ」
「いまから話すことは、まだ僕の個人的な解釈の段階だ。エダと直接話したのは一度しかないしね。だから僕の解釈には修正も必要になると思う。フジイ博士には報告したけどね」
「わかった。はじめてくれる? エダがどんな女かをもっと正確に知りたいわ」

僕がエダと最初に遭遇したのは、4年前のベイルート近郊での地上戦だった。
エックハルト軍の地上部隊の一部が苦戦に陥り、僕の部隊も急ぎ応援するように作戦本部から要請されたのだ。すぐに出動したが、間に合わなかった。戦闘はすでに終了に近く、2000人の部隊は全滅しかけていた。その惨状はすごかった。兵士たちのからだはむろん、内臓や脳まで引き出されて完膚なきまでに破壊されている。どうしてここまでやる必要があるのか? 人間にここまでひどいやり方ができるのか? 僕は心の底から驚いた。
その時、殺戮を先頭で指揮していた一人の女の目とかち合った。それがエダだった。その表情の狂人めいた氷のような冷たい印象と、その手口の残忍さに、思わずゾッとした。その殺し方を見れば、「それが人間に対する扱い方か?」と誰もが疑う。いくら残忍非道といっても、限度というものがある。しかし、エダのやり方はその限度を超えていた。動物の解体作業よりもっとひどい。

単に残忍というより、殺した後もなお、人体はモノとして扱われ、遊ばれていた。
腕や足もバラバラに切断され、まるでアート作品のように組み合わされ、
動物の形や十字架の形をとって、積み上げられていた。
ナチやポルポトでさえこんな遊び方はしなかった。
そこには途方もない恨みが込められていることを感じた。

それ以来、僕はエダに遭遇することが増えた。彼女がメタトロン軍の大佐であり、重要な戦闘のすべてを指揮していることを知った。フジイ博士からは、最初はサイード・S博士からエックハルト軍への参加を誘われ、それを蹴ってメタトロン軍に参加した謎の人物であると聞かされた。パレスチナ人で、父も母も兄弟もイスラエル軍に目の前で殺され、彼女も殺されたかけたが自分だけ奇跡的に生き延びたという複雑な生い立ちだ。この時以来、僕もエダを意識したし、エダも僕を意識したようだ。僕の行動は彼女にマークされ、情報戦として意図的に追跡されるようになった。僕の方でも彼女の動向を探るため、彼女の脳に侵入する回路を常にオンにしていた。
黙って僕の話しを聞いていたエリカが、顔をあげて僕の顔を見た。信じられないという目をしている。僕は話しを続けた。
「まず、この間も東京で説明したけど、エダは、君の脳に侵入し、僕たちの愛の経験を盗もうとしている」
「目的は? まさか、彼女も私たちのような恋愛をしたいの?」
「それは違う。エダの目的は、君の脳を完璧に乗っ取ること。それを二つの目的に使用すること」
「二つの目的?」
エリカには今日、全部説明しておく必要がある。事態の深刻さを理解してもらい、エリカにも力を発揮してもらわなければならない。エリカは、やる気になればすごい力を発揮するからだ。エリカに説明した後は、ノアとアスカも呼んで説明する必要がある。ノアとアスカも忙しくなるだろう。
「一つは、君の脳を通して僕の脳に侵入すること。エダにはその通路しかない。僕に直接侵入することはできない。だから、君の姿を取り、僕の夢の中に現れて僕を撹乱したい。そして、隙をみて、僕を殺害したい」
もちろん、通常のケースで誰かが偽装して夢の中に登場しても、僕はすぐに見破れる。ただ、エダがエリカの姿になって現れたら、難しい。僕が元気な時はまだよくても、疲労している時間などが狙われたら危険だ。
「なぜ殺害の必要まであるの?」
「僕の存在が彼女の作戦に邪魔だから。彼女は大量のロボット兵士とネットロボットの動員を予定している。僕はそんな動きは許さない。その動きが事前にわかれば、僕たちの部隊にはそれを阻止できる力がある。だから、エダは僕を殺害したい」
「あなたが弱っている時にエダが動くのね?」
「そうだ。エダはその時を探している」
「もう一つの目的は?」
「もう一つは、盗んだ愛の技術をエダたちのロボットに搭載するため。彼女は、アジェイが開発したロボットの精度を超え、もっと魔術的なロボットを開発することを考えている」
「魔術的?」
エリカは魔術的という言葉につよく反応した。
「そう。愛の魔術だ」
「愛の魔術? 何だかステキね」
「アジェイのロボットは強制的に相手の脳を乗っ取ることしかできない。乱暴な方法だ。その場合には脳に必ず傷が残る。傷を調べれば誰のせいかがわかってしまう。だから、エダは愛の魔術を使いたい。それがうまくいけば、敵は乗っ取られることを自発的に選択してしまう。敵の気をゆるめるために、エダは可能な限りのご褒美も用意する。相手は、愛されたくて自分を犠牲に差し出す。なぜそんなことをするのか本人も自覚できないまま、相手に協力してしまう。こういう場合には脳は傷つかない。自分の意志だからだ。だから、誰のせいかはわからない」
「それは、微妙な話しね」
エリカが、自分のことを言われているような困った顔をしている。
「うん。すごく微妙な話しだ」
僕も、自分たちのことを言っているような気がしてくる。エリカも同じように感じている。
「私たちの関係でも、私があなたにそれと同じ魔術をかけたのかも知れない。或いは、私があなたにその魔術をかけられたのかも知れない」
「たぶん、両方だね」
「でも、それが愛。そういう魔術が悪いとは言えない」
「その通りだね」
「愛には計算と自己犠牲がつきもの。つまり、愛する人の心を正しく見抜いて、そして愛する人の言いなりになること。メグミさんのことも、私だって思い当たることがある。私がメグミさんの侵入を受け入れたのは、彼女に対する善意だけじゃない。彼女を受け入れることであなたが本当に私のものになると感じたから。打算ね。実際、その通りになった。ほんとうに嬉しかった。あなたもそのことを知っているわ」
「うん。僕もよくわかってるよ。あの時、君だけがメグミの悪口を言わなかった。その理由を僕はあの時は知らなかった。でも、それで、僕は救われた」
「それも、メグミさんが私の夢の中に来てほんとうの事を話してくれたから。私も彼女の話しを聞いて、なぜ二人の男を同時に愛することになったのか、よくわかったわ。それは彼女の選択ではなかった。受け入れることを愛の運命と感じた。そして、彼女は二人の男を愛するようになっても、いつまでもあなたが一番大切だった。でも、それはいくらあなたに説明してもわかってもらえない。でも、どんなことをしても、彼女はあなたにわかって欲しかった。だから、彼女は、死ぬことで、誰かの口からそれを伝えようとした。死ねば、あなたが悲しんでくれること、あなたが変わることがわかっていたから。それで、あなたの子供を妊娠した事を確信した時に、死の決心がついた。同時に、彼女は、あなたの経歴を調べたそうよ。そこで見つけたのが、高校生の時に恋人だった私。死んだ後、彼女が私の夢に現れた。彼女が私を選んだのよ」
「すごい恋愛だね。女のやることはすごいよ」
「そうね。私もあんな体験ははじめて」
「あの当時、僕は子供だったからそんな話しはまったく予想もできない。君との再会は偶然だと思っていたけど、偶然ではなかった」
「メグミさんが私を動かした。私は彼女の愛をあなたに伝える使者だったし、それに成功すれば私とあなたの愛が復活することが私にはわかっていた。あなたは、彼女を愛するがゆえにひどい女性不信に陥っていた。でも、いきなり二人の女に愛されることになった。彼女は既に死んでいる。私は生きている。それであなたは復活したわ」
「今でも信じられない話しだよ」
「いずれにしても、わかったわ。エダが、私に中学生の時の友だちの夢を送ったのが、最初のご褒美ね?」
「その通り」
「そして、今度は、私を乗っ取った後、エダが私の姿になって、あなたの前に登場しようというわけね?」
「そうだ。君が出てきて、僕が君を疑わない場合は、僕はエダの侵入を許してしまう。愛する者を拒む者はこの世に存在しないからね」
「でも、あなたなら見破れるはず。それはニセモノよ」
「僕もそう思う。でも、君が完璧にエダを受け入れてしまった場合は、僕だって君とエダの違いを見破るのが難しい。君がいつもと少し違う振る舞いをして僕が変だと感じたとしても、僕が疲れている時など、勘違いしないとは限らない。とにかく、それで、エダが僕の心を改造出来なくても、少なくともエダは僕への侵入に成功したことになる。この経験は新しい技術になる。エダは魔術的ロボットの開発をさらに進めることができる」
「たしかに、私も油断したのよ。中学生の時の友だちの夢がエダの策略とは思いもしなかった」
「エダは巧妙だからね」
「とにかく、エダは洗脳レースで、あなたより一歩先に進みたいということね」
「そういうことだ。エダは、愛の魔術を獲得したロボットを大量に使い『宇宙の花計画』を実行に移す計画だ。僕たちが洗脳レースに遅れを取れば、僕たちはエダの計画を未然に防げない」
エリカが僕に聞いた。
「あなたの方ではエダの脳に侵入できてるの?」
「基本的にできてる。回路はつねにONで、アクティブになってるよ」
「それで?」
「エダが目立った動きや激しい感情を表に出せば、僕がキャッチする。だから、彼女は僕を警戒し、可能な限り静かにしているわけだ」
「わかったわ」

2 新・月移住計画

さて、肝心のエダの作戦の中身。ここからが彼女に話すべき本題だ。
「僕は君に新・国連の新・月移住計画については話したよね。知ってる?」
「この計画でアレノの会社が販売したロボットスーツが大量に使用されたわけだから、もちろん覚えているわ。核攻撃で人口が半減した月住民に対して2000万人の地球住民を世界中から移住させ、月居住の次のステップにしようという計画。もうそろそろ終了する頃だと聞いたけど」
「うん。先月の末に完全に終了したよ」
「早かったわね」
「この計画は、これまでの月居住の停滞を破るための革新的なものだった。これまで、月には身体改造されたマッチョな人間しか住むことができなかった。6分の1の重力下では誰もが身体が辛くなり、生活が困難になるからね」
「月に人間が住む前は、重力が地球の6分の1になるから生活は楽になるはずと見込まれていた。老人たちも歩きやすい。でも、実際は反対だったわね」
「地球の重力下に生まれた身体は、6分の1の重力に慣れることはない。それは早い段階で証明されていた」
「それで慌てて人工重力環境が月につくられたけど、それもムダだったわけね」
「そうだったね。人工重力環境は短期滞在には有効だったけど、永住者には耐え難いもので、定着しなかった。それを自分では調整できなかったからね。そんな状況の時に、アレノの会社で一般用のロボットスーツがやっとのことで販売されたわけだ。このロボットスーツは、人工重力環境を個人の必要に応じてゼロ重力と1重力の間を自由に調整できる。僕たちのグループの長年の研究がアレノの会社で日の目を見たわけだ」
この点で、僕はアレノにすごく感謝している。このロボットスーツの登場で、ふつうの人間が月に住めるようになったからだ。特別の身体改造も不要になった。ということで、先月、このロボットスーツを利用し、世界の80カ国が自国民を月に送り、生き残っている100万人の月住民と共に合計2100万人で新しい人工都市を稼動させるというビッグな計画が開始された。しかし、なぜかアラブ諸国だけがこの計画から除外されていた。
「アラブ諸国がこの計画から降りてしまったのは、なぜ?」
「新・国連でも激しい議論になったよ」
「どんな?」
「あの時、まず最初にアメリカが、イラン・シリアなどの一部のアラブ諸国を参加させたくないと言い出した。彼らが参加するならアメリカは参加しないと」
「その理由は?」
「彼らが月で核戦争を計画しているという言いがかりをつけた」
「本当だったの?」
「もちろん、いつもの外交戦略だ。宇宙核戦争の準備を完了させたのはアメリカが最初だからね。それに対して、イラン・シリアなどの一部の核保有国もいつでも核戦争に応じる用意があると公言していた」
「それをアメリカにまた利用されたのね」
「その内に、他のアラブ諸国以外の各国も、条件づきでなければアラブ諸国を新・月移住計画に参加させないと要求しはじめた。それで、反発したアラブ諸国が結局ボイコットすることになった。しかし、ことの真相は、裏でメタトロン軍のオスマンが仕掛けていた。各国にイラン・シリアなどの危険性を必要以上に煽り、デマの情報を信じさせ、故意に仕向けた結果だ」
「オスマンはアラブ諸国を参加させたくなかったのね」
「そうだ。オスマンにはその理由があった」
「それがメタトロン軍の作戦ね」
「その通り。『宇宙の花計画』は新・国連の新・月移住計画を標的にしている」
「確かなの?」
「僕の読みではね」
「先月新・月移住計画が開始されたということは、もう危険が迫っているということね」
「その通りだ」
「いつメタトロン軍が動くかも、あなたは掴んでいるの?」
「それはまだわからない。だから、今日、至急の会議が召集されたわけだ」
「『宇宙の花計画』って、具体的には?」
「アラブ諸国の参加を中止させた上で、メタトロン軍が月の新しい人工都市に紛争を仕掛ける。テロリストのように外部から攻撃するのではない。月住民の間に争いを起こし、内部から暴動を引き起こす。それを煽り、お互いを憎悪の民と化し、退却できない窮地にまで追い込む」
「アラブ諸国の住民が月に行かないなら、大きな対立の種がない。そんな暴動が起きるとは思えない」
「大きな種は不要だ。人間同士の対立は、明確でありさえすれば、小さい方がいい。エダは、そう考えている。人間の間の小さな対立を利用して、ロボット同士の大きな対立を引き起こし、それを巧みに利用する作戦だ」
「地球の人間のやり方には縛られないということ?」
「そう。ロボットを使って人間の間に憎悪が憎悪を呼ぶ連鎖構造を演出し、最終的には、メタトロン軍が核戦争を仕掛け、各国政府も核戦争で対抗さぜるを得ない状況にもっていく。『宇宙の花計画』とは2100万人を全滅させる作戦だ」
「恐ろしいことを。そんなバカなことが出来るはずがないけど」
エリカの顔がゆがむ。無理もない。僕の顔もゆがまざるを得ない。こんな計画が実行されたら空前の一大事だ。前回の月への核攻撃の比ではない。もちろん、これはエダの作戦に対する僕の読みが正しい場合だが。
僕は続けた。
「エダたちの作戦は頭脳的だよ。オスマンは建築にも手を出している。彼の国が開発したムーンハウスに住めば、ロボットスーツの効果を合わせ、月居住がさらに快適なものになる」
「ムーンハウス? はじめて聞いたわ。生活にどう役立つの?」
「ロボットスーツと同じ機能をもっていて、ゼロ重力と一重力の間を自由に調節できる。ムーンハウスに住めば、家の中でもロボットスーツを着るという煩わしさから解放される。いくらロボットスーツが進化して着用時の違和感が減少したといっても、着用していることに変わりはないからね。これを脱げるなら、家の中での以前の生活が取り戻せる。お風呂にも裸で入れる。まさに、以前と同じように、人ひどは家でくつろげる」
「生活の必需品ね」
「僕もムーンハウスが優れていることは認めざるを得ない。これで、月に住む人間に、地球より劣った環境に来たという劣等感ではなく、進化の幻想を与えることができる。オスマンは、このハウスを利用し、販売を制限し、対立を起こし易い一方の国の住民にのみ販売し、もう一方の国の住民には難癖をつけて売らない。こうして、二つの国の住民の間に争奪戦を引き起こす」
「でも、その程度なら暴動にはならないわ」
「だから、エダの作戦がここから動く。たしかに、それだけでは各国住民の間に起きる小さな対立に過ぎない。しかしエダには、この対立の構造さえ確認できればそれで充分」
「どういうこと?」
「現時点での、各国間の絆はどんなものか? ちょっとした紛争でこじれてしまう国同士はどこか? A国とB国は? C国とD国は? エダが確認したいのはそれだけ。この関係を明確にした上で、メタトロン軍が動く」
「どうやって?」
「その作戦は、ムーンハウスの争奪戦が起きた順番に実行される。A国の住民とB国の住民がムーンハウスが理由でやり合っている時に、メタトロン軍のロボット兵士群が、A国のロボット兵士1000体を洗脳し、B国の国民1万人を自爆テロで殺す。同時に、B国のロボット兵士1000体を洗脳し、A国の国民1万人を自爆テロで殺す。メタトロン軍による洗脳の証拠は一切残さない。ロボット兵士が自発的に起こした、A国とB国の相互のテロ戦争にしか見えない。昔のルワンダのツチ族とフツ族のように、憎悪が憎悪を呼ぶ連鎖反応で、A国とB国の間で大量殺害を行わせる。そして、そのピークに、メタトロン軍のロボット兵士が各国首脳の脳に侵入し、核のボタンを押させる。怒り狂い、錯乱状態に入った国民と政府が、<守るべき地球>という感覚を持たないがゆえに、平気で核戦争にのめり込む」
「想像できないわ。あり得ない」
「でも、可能性としてはあるよね」
「可能性はね」
「これが成功すれば、同様のテロ戦争を他国にも拡大できる。それで、新・月移住計画を崩壊させ、2100万人全てを死亡させる、というシナリオだ」
「地球では起こせない核戦争を月では起こせる、という読みね。地球を核の荒廃に導くことはできないけど、月ならいいわけね。でも、それがエダたちの仕業とわかれば?」
「一切わからない。原因は各国のロボット兵士による集団暴走。ロボット兵士が洗脳されたという証拠は残らない。そして、エダの死により、原因は一切の闇に葬られる」
「でも、この計画を知った私たちは公にできるけど」
「公にしてもほとんど意味がない。月に対するテロ計画の情報は、新・国連に毎月何十件も報告されている。事前に公に出来ても、それと同じと取られるだけ。警戒することはいくらでも出来る。でも、それだけでは僕たちが具体的にいつ、どう動けばいいのかわからない」
僕は次のように考えている。

アジェイのロボットなら問題ない。
しかしエダのロボットには、現在の段階では僕たちも対応できない。
どのロボットが洗脳され、どこで、どう動くのか? それがわからないからだ。

「エダの心が読めない限り、この計画は防げないということね?」
「そういうこと。そして、実行されてしまっても、エダの犯行だという証拠を世界に提出できない。各国のロボット兵士が集団暴走したという現実だけが残される」
「どうすればいいの?」
「どんなに困難でも、エダの心を読むしかない」
「エダの作戦が成功すれば、2100万人が死亡する。月も、今度こそ壊滅的被害を受ける」
「地球に予想される被害は?」
「前回だけで、地球にも大きな影響が出た。今回はその比ではないだろう。月で100個の核が爆発すると、月の大きさが半減すると予測されている。この影響を地球はまともに受ける。地球環境の破壊どころではない。地球の軌道自体が変更を受けるからだ。地球が現在の軌道を離れたら、どうなるのか? 太陽系の外に出て行く地球? 誰もそんな姿を想像できない。逆に太陽の側に吸い寄せられた場合には、地球は太陽の熱に包まれ、すぐに蒸発する運命だ。地球には大規模な地殻変動と大洪水も起きる。それは、現在のように震度2程度の微震が続く状態とは比較にならない。もっと大規模な災害をひき起こすはずだ。月との関係に変質をきたした人間は、生理的にも、精神的にも、さらに不安定な存在になる。経験したことがない大混乱に見舞われる」
「でも、それはアラブ国家の住民が受ける被害も同じよね?」
「だから、エダたちは別の仕掛けも用意した」
「別の仕掛け?」
「巧妙だよ。地上でも、メタトロン軍がアラブ諸国に対して被害を最小限に食い止める。オスマンは、月居住用のムーンハウスだけではなく、月の引力減少分を人工的に補う地球用の重力ハウスも同時に開発したんだ。オスマンは、ここでも差別化し、重力ハウスをアラブ諸国の家庭にのみ流通させる。その他には売らない。アラブ諸国以外の各国が重力ハウスの開発を急いでも、すぐには調達できない。しばらくの間は、地上でも月と同様の争奪戦が起きる」
「たしかに重力ハウスも生活の必需品になるわね」
「重力ハウスに住めるか、住めないか。この差が、人びとの間に大きな格差を生み出すことになる」
「たしかに、格差が人間社会に争いを起こす原因だわ」
「ナチの優生学にとりつかれたアジェイの存在も大きい。彼は大衆誘導のプロだからね。演説もうまい」
「ゲッペルスの再来と言われているそうね」
「メタトロン軍は、地上では月とは異なる作戦を展開する。混乱に乗じ、アラブ諸国以外の政治的要人に対するロボット兵士によるテロを実行し、彼らを殺す。同時に、ここからがエダたちの最大の見せ場で、アラブ諸国以外のすべての人間に対する洗脳を開始する。それで、アラブ諸国による新しい世界統治を実現するつもりだ」
「そんなことがどうしてできるの?」
「アラブ諸国以外に対し、重力ハウスの争奪戦を仕掛けて各国の調和を乱す。一方で、イスラエルとパレスチナには特別の優遇措置を提案する。オスマンは、ムーンハウス・重力ハウスと共に、空中都市も開発できる。この空中都市を、史上最大規模ものにして、イスラエルとパレスチナに提供する。要するに、両国の人間に新しい住居を与え、領土を巡る闘争を集結させる。イスラエルとパレスチナが和解すれば、アラブ諸国には一挙に融和ムードが訪れる。そして、国家に所属しないことで欧米諸国と戦い勝利を収めたメタトロン軍が、めざすべき新体制のモデルになる。アラブ諸国が一大連合を形成し、国家の力を制限し、それぞれの新・メタトロン軍をコアにするなら、実質的に国家なき統治に近づく」
「でも、オスマンの野心は新しいアラブ王国の建設よね?」
「それはエダにより却下される。エダは、オスマンも、アジェイも、殺すつもりだ」
「オスマンが見捨てられる? 国家にこだわるオスマンと、国家なんてどうでもいいエダの差が出るのね」
「オスマンはエダには歯車の一つに過ぎないからね。そして、最後に、エダも死にエダの部下たちにより国家なき統治が実現された後、アラブ諸国も宇宙に乗り出す。はじめは火星に。次に新しく発見された惑星に。この間にも、アラブ諸国では、重力ハウスと空中都市を拡張した大規模な人工都市による環境整備を行い、世界の中でのアラブ諸国の優位を確立してしまう。アラブ民族だけが、地球は汚染されたという終末意識から免れることができる」
「大きなポイントね」
「そう。アラブ民族以外は、地球に絶望し、終末意識に苛まれ、帰るべき故郷という意識を喪失する。帰るべき故郷を喪失した民族は、弱体化する。これは歴史の必然だ。彼らは、地球上を、傷心のまま彷徨いはじめる」
「ユダヤの民と同じ?」
「そういうことになるね」
「わかってきたわ。これはエダによる世界史への復讐なのね?」
「そうだと思う。エダはパレスチナ人だけど、さまよえるユダヤの民には共感していたからね。エダがもっとも憎むのは、イスラエルとパレスチナの反目の原因をつくった大国のエゴだ。なぜ欧米が世界の覇者になったのか。その歴史自体を認めたくないのだ。そこにはサイード・S博士の教えも影響していたと思う。そして、エダの筋書き通りで進むなら、火星や他の惑星でも、アラブ民族こそが優れた新文明を築ける。他の民族は、国家解体の経験を経ていないため、宇宙でも同じ過ちを犯し続けるだけだから」
「残忍だけど、周到に考えられた計画なのね。私はますますエダが怖くなる」
「たしかに。この計画はよく考えられている。エダらしいというわけだ」
「わかったわ。これがエダの宇宙政策。『宇宙の花計画』の花とは、月で爆発する核のことだったのね」

僕とエリカは、喫茶店を出た。新・国連の戦略会議はハードな会議になるはずだ。フジイ博士と共に、ふだんはめったにお目にかからないサイード・S博士も顔を見せ、世界中から重要メンバーたちが参加することになっている。

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